
当時はNPBで活躍中の選手がその全盛期にチームを退団してMLBに挑戦するなど、考えられなかった。その「常識」を、野茂が覆した
近鉄を任意引退してMLB挑戦の衝撃
「僕自身、大リーグに挑戦したいという意思を球団に話した。球団側も『行ってこい』ということで、挑戦することになりました」
近鉄との最後の契約交渉を終えたあと、大阪市内のホテルで開かれた記者会見の冒頭で
野茂英雄がそう言ったのは、1995年1月9日のことだった。会見場には多くの報道陣が詰めかけた。イスが足りず、最前列の記者はフロアに直接座らざるを得ないほどだった。それは「事件」だった。当時NPBとMLBには、日本とアメリカを隔てる太平洋以上の距離感があったからだ。
南海から野球留学のため渡米した「マッシー村上」こと
村上雅則が、当初は想定していなかった形で大リーグのマウンドを踏んだことはあった(64~65年)。
江夏豊など、メジャー入りを目指した選手がいなかったわけではない。だが村上以降30年たっても日本人大リーガーは現れなかった。日本人がメジャーでプレーするなど夢のまた夢。そんな「常識」が、まだはびこっていた時代だった。
90年にドラフト1位で近鉄に入団するや、野茂は独特の「トルネード投法」から繰り出される剛速球と鋭く落ちるフォークを武器に、4年連続で最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得した。そんな日本球界を代表する投手が、近鉄を任意引退してメジャーに挑戦するというのである。世間に衝撃が走った。
「FA資格が取れるときはもう30歳を超えてしまう。若い今しかない」
記者の「なぜこの時期に?」という質問にそう答えた野茂は・・・
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