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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1983年2月14日>レオンが大洋にトレード。史上最強の「リー兄弟」がコンビ解散となった日

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1970年代末期から80年代序盤にかけてロッテに在籍した左打者のレロン・リーと右打者のレオン・リーの兄弟は、ともに猛打を発揮した


弟・レオンは1年遅れて来日


 1977年、ロッテに入団したレロン・リーの当初の評判は、お世辞にも良いとは言えないものだった。「助っ人」として長打を期待されていたのに、春季キャンプの打撃練習ではゴロばかり。打球が高く飛ばなかった。「史上最低のガイジン」と呼ばれたと、リー本人も語っている

 しかし、これには狙いがあった。前年までロッテでプレーし、リー獲得を仲介したジム・ラフィーバー打撃コーチから、一発長打を狙わず、まずはジャストミートを心掛けるようアドバイスされていたのである。これに従ったリーは「左へコツン、右へコツンと打つバッティング練習ばかり」を繰り返した。

 そのようにして日本野球に順応したリーのバットは、開幕から火を噴いた。5月8日から19日にかけて、NPBタイ記録(当時)の11試合連続打点を達成。危惧された長打力も、開幕2カ月で本塁打は20本に達した。最終的に打率.317、34本塁打(リーグ1位)、109打点(同1位)という成績を残したリーは、結果で前評判をはね返したのであった。

「一人よりも二人のほうがいい」とリーが推薦し、実弟のレオンがロッテに加入したのは翌78年のことである。控え中心とはいえ大リーグで8年間プレーしたリーに対し、マイナー・リーグでくすぶっていた4歳下のレオンにメジャー経験はなかった。それもあってか、当初は金田正一監督の評価も低く「2割5分打ってくれればよしとしなきゃ」。とんでもなかった。兄という「名コーチ」が付いたレオンは・・・

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