
オープン戦当日のグリーンスタジアム神戸[現ほっともっと]の外野の芝生には「ガンバロウ!! KOBE」の文字が描かれた
イチローは選手寮で被災
1995年1月17日、午前5時46分。近畿圏をマグニチュード7.3の巨大地震が襲った。多くの建物が倒壊し、各所で火災が発生した。
阪神・淡路大震災である。
神戸を本拠地とする
オリックスは、当然ながら震災と無縁ではいられなかった。選手寮で眠っていた
イチローは、強烈な揺れに飛び起きた。
(自分はこれで死ぬかもしれない……)
前年にNPB初のシーズン200安打を達成し、スターの階段を登り始めた21歳の青年が、生まれて初めて感じた死の恐怖だった。
エースの
野田浩司は神戸の自宅にいた。幸いなことに家屋は大きな被害を受けなかったが、水道もガスも止まった。高台にあった家からは、市内のあちこちから昇る煙が見えた。電話がつながらず、球団と連絡を取ることもできない。家に避難してきた同僚の
金田政彦と、不安を抱えながらお互いの故郷である九州に向かった。今年は野球ができないのではないか。そう、野田は思った。
震災の被害は深刻だった。死者は6000人を超えた。その深い傷は、今なお完全に癒えたとは言い難い。
監督の
仰木彬が神戸に入れたのは震災から10日後のことだった。自前の300万円を持参し、神戸市役所に出向いた。そして市内を見て回り、避難所で毛布にくるまっている被災者一人ひとりに励ましの声を掛けた。神戸市長の笹山幸俊からは両手を強く握られた。「こんなときです。今年は・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン