
国鉄・飯田は試合中の走塁でアキレス腱を断裂。南海時代から続いていた当時NPB記録の連続試合出場は、この日が1246試合目だった
一塁走者として二塁を蹴った直後
国鉄スワローズ(現
東京ヤクルトスワローズ)の四番・
飯田徳治が奇妙な感覚に襲われたのは、1958年5月24日、甲子園での大阪(現
阪神)戦、6回表の第3打席であった。下半身にゾッとするような悪寒を感じたのである。それでも飯田は、相手投手の
西尾慈高から中安打を放った。一塁に到達したころには、先ほどまでの悪寒は忘れていた。
二死ながら、これで走者一、二塁。1対2と劣勢の国鉄は、同点、さらには逆転のチャンスを迎えていた。この場面で、続く五番の
佐藤孝夫がレフトにヒットを飛ばした。
二死ゆえ、ランナーは打った瞬間にスタートを切る。飯田は思った。「二塁走者の
箱田淳はホームインするだろう。自分も三塁に行けるかもしれない」。34歳ながら、前年セ・リーグトップの40盗塁を記録した飯田は足に自信があった。猛スピードのままセカンドベースを蹴り、三塁へ向かおうとした。その直後だった。頭の芯にボーンという異様な音が響いた。そして気が付いたときには、まるでカエルのようにグラウンドに這(は)いつくばっていた。慌てて立ち上がろうとした飯田だったが、右足に力が入らない。足を挫いたか……。飯田は這ったままの状態で、何とか二塁に戻った。
そんな飯田の様子を見た監督の
宇野光雄は・・・
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