
当時の全7球団が初めてそろった1936年の秋季大会は巨人とタイガース[現阪神]が勝ち点2.5で並び、両チームによる洲崎球場での優勝決定戦を2勝1敗で巨人が制した
戦前の予想ではタイガース有利
日本職業野球連盟(現NPB)が誕生した1936年、7球団による秋季大会が9月18日から行われた。現在のようなシーズンを通してのリーグ戦ではなく、4度の小規模なリーグ戦と2度のトーナメント戦が実施された。それぞれの大会の1位チームには勝ち点1、同率1位の場合は勝ち点0.5が入る。その合計点数で秋季大会全体の優勝チームを決めるというものであった。
結果、巨人とタイガースが勝ち点2.5で並び、この2チームで優勝決定戦が行われることになった。12月9日からの3連戦で、2勝したチームが連盟公式の初代王者となる。場所は東京の洲崎球場。両球団の名誉とプライドをかけたこの3連戦は、のちに「洲崎の決戦」と呼ばれた。
打力は、タイガースが巨人を圧倒していた。また巨人の投手陣は手薄で、頼れるのは19歳の剛速球投手・
沢村栄治ただ一人。そのため、試合前の予想ではタイガースが有利と目されていた。
12月8日、巨人の選手たちは勝利を祈るため、宿舎の近くにあった水天宮を参拝した。水天宮は安産祈願で知られた神社だが、投手の
前川八郎は「どこでもよかった。われわれはじっとしていられなかったのです」と回想している。初戦の出発前、監督の藤本定義はコップに注がれた冷酒を、景気付けとばかりにグイと飲み干した。
午後2時、試合が始まった。気温はわずか2度。さらに球場は海沿いとあって、東京湾から強風が吹きつけた。「そよろ潮風うそ寒く襟首吹いて千鳥啼く」。12月の洲崎球場で野球観戦をした詩人の西条八十は、そう書き残している。
そんな状況にもかかわらず、巨人先発の沢村は・・・
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