
こちらは1964年12月に村上がメジャー・リーガーとして凱旋帰国した際の写真。3月の渡米時はここまで大勢の人に注目されていなかったはずだ
海外旅行は夢のまた夢の時代
法政二高のサウスポー・
村上雅則が南海(現
ソフトバンク)からスカウトされたのは、1962年のことである。南海は熱心に誘ったが、村上は大学進学を希望していたことから、当初は入団に乗り気ではなかったという。その考えが変わったのは、「親分」こと
鶴岡一人監督が放った、こんな一言だった。
「ウチに来たら、アメリカに野球留学させてやるぞ」
当時、海外に行くことは庶民にとって夢のまた夢だった。あこがれのアメリカに行ける……。村上は、南海入りを承諾した。
鶴岡は約束を守った。64年3月10日、入団2年目の村上は、同僚の
高橋博(捕手)、
田中達彦(内野手)とともにアメリカに向けて出発した。留学期間は3カ月だった。
南海と提携していたサンフランシスコ・ジャイアンツのキャンプ(アリゾナ州フェ
ニックス)に参加した村上は、紅白戦やオープン戦で好投した。その結果、ルーキー・リーグに振り分けられた高橋や田中と違い、村上はワンランク上の1A・フレズノ・ジャイアンツに・・・
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