
写真は「解除」直後の2005年5月11日、ヤフードーム[現みずほPayPayドーム]で開催されたソフトバンク対広島の交流戦で始球式に招かれた池永氏
本来なら300勝投手
かつて、
池永正明という選手がいた。その名を知る者は、2つのことを思い起こすだろう。1つは、彼が西鉄(現
西武)ライオンズの若きエースとして活躍した天才投手だったこと。そしてもう1つは、選手としての全盛期に、その姿が漆黒の霧の中に消えたこと──。
1965年、西鉄に2人の大物新人が入団した。63年春のセンバツ優勝投手・池永(下関商高)と、64年春のセンバツ優勝投手・
尾崎正司(のち将司。海南高)である。
いきなり頭角を現したのは池永だった。同年4月25日の阪急戦(小倉)に先発し、6回1失点の好投で初勝利を収めると、その後も順調に勝ち星を伸ばした。シーズン成績は20勝10敗、防御率2.27。19歳の右腕は、文句なしの新人王に選ばれた。一方、この年未勝利に終わり池永との実力差を痛感した尾崎は、わずか3年でプロ野球の世界に見切りをつけた。そしてプロゴルフの道に進み、「ジャンボ尾崎」として大成することになる。
池永の身長は175cm。決して体格に恵まれたわけではなかった。だが、中学時代に100メートル走、走り高跳び、砲丸投げの三種競技で山口県大会優勝を果たした池永は、天性の優れた運動能力を持っていた。全身がバネのような躍動感あふれるフォームから繰り出されるストレート、高速スライダー、鋭い
シュートはパ・リーグの強打者たちを苦しめた。
池永は快速球の持ち主であったが、全力でそれを投じるのは1試合で数球程度だった。投手の条件を10とすれば、球速が占める割合はせいぜい1か2だと池永は思っていた。重要なのは、制球力とコンビネーション。打者のしぐさを見れば、何を狙っているかがすぐに分かったという。そこに向かって池永は投げた。ただし、わずかにバットの芯から外れるように。池永のクレバーな投球術の前に、相手打線は凡打を重ねた。
強気な性格でもあった。打者が誰であっても、池永は臆することなく内角を厳しく攻めた。あるとき・・・
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