
土曜日とあって、広島対中日10回戦[広島]は13時30分にプレーボール。14時55分、5回裏の攻撃が終了したところで試合が成立した
入団直後の課題は「試合に出ること」
広島カープのスラッガー、
衣笠祥雄は「鉄人」と呼ばれた。その由来は、背番号にある。平安高(現龍谷大付属平安高)から1965年に入団して以来、74年まで衣笠が背負った番号は「28」。この数字が、漫画『鉄人28号』を連想させたのだ(75年からは背番号3)。
だが「鉄人」というあだ名は、やがて別の、もっと大きな意味を持つようになる。70年10月19日の
巨人戦(後楽園)を起点として、衣笠は試合に出場し続けた。言い換えれば、絶対に試合を休まなかった。その姿を表現するのに、「鉄人」ほど相応(ふさわ)しい言葉はなかった。
そんな衣笠の最初の課題は「試合に出ること」だった。入団から3年間、一軍と二軍を行き来する日々が続いた。どうすれば試合に出られるのか。衣笠が導き出した答えは、「最低20本はホームランを打つこと」。選んだ手段はフルスイングだった。
身長175cmと大柄とは言えない衣笠は、力いっぱいバットを振ることでボールを飛ばそうとした。当然、三振は増える。4年目の68年、衣笠の三振はチーム最多の76。代わりにホームランも、チームトップタイの21本をマークした。結果この年から、衣笠は正一塁手の座を手に入れたのであった。
やがて衣笠は、走塁と守備でも目覚ましい活躍を見せるようになる。76年にはリーグ1位の31盗塁を記録。75年から三塁手に転向したが、守備でたびたび好プレーを披露した。
レギュラーはつかんだ。しかし・・・
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