
9回裏にサヨナラ逆転3ラン本塁打を巨人のエース・斎藤に浴びせ、満面の笑みでダイヤモンドを回る中日の四番打者・落合[左は島野育夫コーチ]
かつては落合とのトレード候補?
1986年12月23日、三冠王に3度輝いた
ロッテの
落合博満が、
牛島和彦ら4選手とのトレードで中日に移籍することが発表された。巨人の
斎藤雅樹は、テレビニュースでそれを知った。うれしさがこみ上げた。一緒にいた家族も、斎藤に祝福の拍手を送ったという。
このとき、巨人もまたトレードで落合の獲得を狙っていた。その交換要員として名前が挙がっていたのが、若手有望株の投手と目された斎藤だったのである。中日の落合獲得は、斎藤の巨人残留を意味した。ロッテ移籍を半ば覚悟していた分、斎藤の喜びもひとしおだった。俺は本当に巨人が好きなんだな……。改めてそう思った。
86年オフ、斎藤と落合の野球人生は、交わることなく離れた。しかし、およそ2年8カ月後の夏の夜、2人のそれは劇的な形で交差することになる。そのとき斎藤はマウンドにいた。18.44メートル離れた向こう側には、バットを構えた落合が立っていた──。
85年に12勝7セーブという好成績を残したあと、斎藤は伸び悩んだ。86年は7勝。87年は0勝に終わり、88年も6勝にとどまった。肘痛もあったが、気の弱さがネックと言われた。先発は難しいと首脳陣に判断され、リリーフ起用が続いた。
転機は89年に訪れた。入団時の監督で、斎藤をサイドスローに転向させた
藤田元司が、この年指揮官に復帰したのだ。「おまえは気が弱いんじゃない。性格が優しいだけなんだ」。かつて巨人のエースだった藤田は、そう言って斎藤を鼓舞し、先発を任せた。
ときに優しく、ときに厳しい藤田の指導により、斎藤の眠れる才能は開花した。サイドから放たれる快速球と鋭い変化球は、セ・リーグの打者を圧倒。スタミナも抜群で、5月10日から7月15日にかけて11試合連続完投勝利(NPB記録)を収めた。
6月上旬以降、巨人は首位をひた走った。斎藤の活躍がなければ、それもあり得なかっただろう。8月7日、東京ドームでの
広島戦・・・
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