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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

【1961年9月4日】関大中退後、巨人へ入団。この年の5勝がなければ川上監督の栄光もなかった?

 

1961年のシーズン終盤に巨人へ入団した村瀬は5連勝。その中には優勝を争う中日、国鉄からの勝利も含まれた。結果的に1ゲーム差で優勝した就任1年目の川上監督[巨人]が生涯村瀬に感謝したのも自然なことか[左は別所投手兼任コーチ、右は三塁手の長嶋茂雄]


大学選手権準優勝からのプロ入り


 1961年6月18日。神宮球場において、第10回全日本大学野球選手権大会の決勝戦(関大対日大)が行われた。関大の先発は村瀬広基。2年生ながら春のリーグ戦で6勝0敗、防御率0.82という好成績を残した右腕投手である。体を大きく使って投げ込むストレートは重く、決め球のシュートには威力があった。

 期待を背負ってのマウンドだったが、村瀬の投球は冴(さ)えなかった。途中降板を喫し、試合も10対2で日大の勝利に終わった。

 あるいは、こう書くこともできる。関大は日本一を逃した。その結果、61年のセ・リーグ優勝チームが決まった、と。

 村瀬の能力を認め、水面下で卒業後の獲得を狙っていた巨人に、村瀬が関大を中退するという情報が入ったのは、その年の夏だった。決勝戦で打たれたことで監督から理不尽な叱責を受けた村瀬が、大学野球に見切りを付けたというのである。この機会を逃す手はない。巨人はさっそく動き、村瀬を獲得した(当時はドラフト制度施行前)。

 入団は9月4日。「早くチームの雰囲気に慣れたい」と語った村瀬は、その日のうちにチームに合流し、多摩川のグラウンドで投球練習を行った。周囲の評価は上々で、選手兼任投手コーチの別所毅彦も「球速は巨人でも一、二だろう。典型的な上手投げだからグングン伸びる投手だ。胸の厚いのが気に入った」と目を細めた。

 季節が秋へと移り始めたこの時点で、シーズンの残り試合は・・・

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