週刊ベースボールONLINE

よみがえる1990年代のプロ野球

【90's ベイスターズの記憶】ヨコハマが熱く燃えた、38年ぶりの日本一 権藤マジックとマシンガン打線の結実

 

97年に2位につけ、優勝への期待感はあった。そうした雰囲気の中、退任した大矢明彦監督に代わって権藤博コーチが監督に就任。ベイスターズは、マシンガン打線と大魔神・佐々木主浩の活躍で6月に首位に立つと、1960年以来となる歓喜へと突き進んだ。
構成=滝川和臣 写真=BBM

パ・リーグ覇者、西武との日本シリーズを制して38年ぶりの日本一。権藤監督が横浜の夜空に舞った


59歳の“新人監督”あっと驚く、采配の数々


 前年の1997年、大矢明彦監督の下、18年ぶりに2位へと躍進した横浜ベイスターズをバッテリー・チーフコーチとして支えてきた男が人生初の監督に就任した。当時、権藤博は59歳。“新人監督”は、犠牲バントなし、監督呼称の禁止、さらにはミーティングさえも「やって勝てるならやりますよ。でも決してそうじゃない。データはしょせん過去の集積。実際に使うときは、向こうもこっちも状況は変わってくる」と廃止にした。就任1年目から、独自の野球観を次々とグラウンドで具現化して周囲を驚かせ、巻き込んでいった。

 開幕投手には2年目の川村丈夫を抜てき。右腕は指揮官の期待に応えて、開幕戦では史上3人目となる1安打完封勝利を挙げる快挙だった。この勢いで開幕3連勝と最高のスタートを決め、4月は9勝9敗で乗り切り、5月になると出場停止処分を受けていた波留敏夫の合流、谷繁元信進藤達哉らの活躍もあって13勝10敗と勝ち越した。6月には権藤監督が言い続けてきた「佐々木につなげ」を合言葉に先発、中継ぎが奮闘。怒とうの快進撃で、20日の広島戦(函館)で首位に立った。

98年の合言葉は「佐々木につなげ」。45セーブをマークして、4年連続5度目の最優秀救援投手賞を受賞


 快進撃を支えたのがマシンガン打線だ。1イニング全員安打(7月5日、ヤクルト戦=熊本)、9回裏に6点差を追いつき引き分け(12日、中日戦=帯広)、0対7から奇跡の大逆転(15日、巨人戦=横浜)。「もののけにとりつかれたよう」(権藤監督)な劇的な試合が続き、球団タイ記録となる10連勝(1分け挟む)をマークする。チーム打率.277を誇る、打ち出したら止まらないリーグNo.1打線がこの年のベイスターズの象徴だった。

 攻撃ではムダなアウトを一つやるような試合序盤からの犠牲バントはしない。一番・石井琢朗と二番・波留がアイコンタクトで攻撃を仕掛けチャンスを広げると、後ろには97、98年の首位打者・鈴木尚典、球団史上最強の助っ人・ロバート・ローズが控えた。満塁男の異名を取るベテラン・駒田徳広をはじめ、満塁時のチーム打率は.380と、好機には高い確率で得点に結びつけた。レギュラー陣だけでなく、井上純中根仁荒井幸雄ら代打陣の勝負強さも光った。

7月15日の巨人戦[横浜]は0対7から奇跡の大逆転勝利。9回裏に二番・波留が槙原寛己からサヨナラ打


マシンガン打線の源流自主性に任せた指揮官


 98年のチームは、脂の乗り切っている選手が多く、個々の力を権藤イズムが最大限に引き出していった。

 (遊)石井琢朗 10年目/28歳
 (中)波留敏夫 5年目/28歳
 (左)鈴木尚典 8年目/26歳
 (二)ローズ  6年目/31歳
 (一)駒田徳広 移籍5年目/36歳
 (右)佐伯貴弘 6年目/28歳
 (捕)谷繁元信 10年目/28歳
 (三)進藤達哉 11年目/28歳

 打線の構成メンバーの顔触れを見れば、巨人からFA移籍で加入した駒田と、助っ人のローズを除けば、全員が20代後半。生え抜きがほとんであり、須藤豊監督(90〜92年)、近藤昭仁監督(93〜95年)、大矢監督(96〜97年)が指揮を執った低迷期に20代前半を過ごした、いわば同じ釜の飯を食ったメンバーたちだ。Bクラスが定位置だったチームを何とか引き上げようと、各時代の指揮官たちは非常に厳しい練習を選手に課した。特に須藤監督時代は別格だった。沖縄・宜野湾のキャンプでは朝から練習して夕方にホテルに帰ってきて、毎日ミーティング。食事を食べる時間もなく、ジムに移動して体づくり。再びホテルに帰ってくると食事の時間は終わっており、選手は近所の弁当屋を利用していたという。

猛威を振るったマシンガン打線のラインアップ。生え抜き、たたき上げの若手が中心だった


 その後の時代にも厳しさは受け継がれ、投手陣は宜野湾から那覇まで約15キロをランニングして帰った。入団間もない進藤はマメがひどくてバットが握れずに、テーピングで手を縛ってバットを振った。シーズン中も若手だった佐伯と鈴木尚は、ナイターの試合日であっても毎日11時から横浜スタジアムで特打を行い、試合後は横須賀の寮に戻って再び室内で打ち込むなど練習に明け暮れた。

 そうした下積み時代を経て選手は成長を遂げ、石井は盗塁王、鈴木尚典は首位打者を獲得するまでの選手となった。入団1年目で打点王となったローズも98年は来日6年目で円熟期を迎えつつあった。マシンガン打線と言えば、導火線に火が付くと勢いが止まらない自由奔放な打線のイメージが強いが、時間をかけて熟成された個々の経験値が選手を支えていたのだった。ノーサインでも1点を奪えるような「大人の集団」であり、それは98年以前に選手たちが歩んできた過程に寄るところが大きかったと言える。

 当時の右腕、斎藤隆は、「98年のベイスターズ打線は、何か不思議な勢いがあった。僕が7失点した試合で打線が同点にしてくれて、さらに逆転で勝ちゲームにしてしまったり、今まで見たことがないような景色がたくさんあった」と振り返る。

 ベンチの中は決して和気あいあいという雰囲気ではなかった。佐々木主浩が証言する。「個性的な選手が多く、何をやらかすか分からないチームではあった。波留、佐伯、琢朗、進藤、駒田さん……普段から仲良くしているかというと、全員が全員というわけじゃなくて、そろって食事なんてめったにない。マウンドで僕に声を掛けてくるのは進藤とシゲ(谷繁)くらい。だけど野球に対しては真剣で、年は若くても大人のチームという感じがした」。だからといって、選手がバラバラではなかった。ユニフォームに袖を通した瞬間に、ピタッと全員が勝利という同じ方向を向き、試合中のベンチは1人も他所を向いている選手はいないという不思議な集団でもあった。

 その理由を六番を打った佐伯が語る。「それぞれが自分の役割をまっとうすることに徹底できたのも、厳しく鍛えられる中でなれ合いの雰囲気が消えていったからだと思います」。そして、成熟した選手たちの前に現れた権藤監督が「野手はたたき上げばかりで、全員がすごく自己管理できるヤツらだった。野手については俺から言うことは何もなかった」と自主性を重んじたことで、マシンガン打線はより火力を増したのだった。

逃げるな、攻めろ! 植え付けたスピリッツ


 投手陣では、“放任主義”だった野手陣とは異なり、権藤監督はリリーフにもローテーションを組ませるなど、きっちりと管理した。先発では斎藤隆(13勝)、野村弘樹(13勝)、三浦大輔(12勝)の3人が2ケタ勝利、川村8勝、戸叶尚7勝と先発がそろい、防御率0.64を誇る絶対的守護神・佐々木が9回に君臨し、クローザーにつなぐ島田直也五十嵐英樹横山道哉らのリリーフ陣もフル回転。権藤監督の掲げた「投手を含めたディフェンス野球」は優秀なブルペンスタッフの存在なくしては成立しなかった。徹底した投手リレーと、打ち出したら止まらないマシンガン打線という投打が面白いようにかみ合ったのだった。

 権藤采配の最大の特徴は攻めの姿勢だ。『Kill or be killed』(殺るか、殺られるか)と書いたボールを投手陣に配って、自身の野球哲学を示した。この年、キャリアハイの12勝を挙げた三浦は「権藤さんからは『とにかく攻めろ』とアドバイスをもらっていました。攻めた結果、打たれたのではあればまったく怒られなかった。逆に逃げたり、かわそうという態度が少しでもマウンドで出るとベンチで烈火のごとく怒鳴られた」と言う。その一方で、ベンチであれだけ罵倒されたにもかかわらず、試合が終われば、サバサバとしていた。そうした権藤監督のカラっとした性格も投手陣には好影響を与えた。攻めの姿勢は守るバックにも浸透していた。石井、波留ら先輩は「野手はお前の背中を見ているんだ」とマウンドの三浦に活を入れ、「攻めて取られた点はいくらでも取り返してやる」と頼もしかった。

 79勝56敗1分け、勝率.585。終わってみれば、2位の中日に4ゲーム差をつけ、6月の首位奪取から独走状態のV。さらには西武との日本シリーズを制して、38年ぶりの日本一にまで駆け上がった。

 98年を振り返った佐伯の言葉が当時のチームをうまく表現している。「近藤さんが地を耕して、種をまき、芽を出した。その後、大矢さんが幹や枝葉をつけて木に育て、権藤さんが蕾(つぼみ)をつけ、優勝という花を咲かせてくれました」。もちろん、シーズン中にピンチがなかったわけではない。故障者やシーズン終盤には疲労も蓄積した。そんなときには必ず救世主が現れ、日替わりヒーローが生まれた。それも横浜の強さの要因だった。

 三浦は2021年より横浜DeNAベイスターズの監督を務めている。就任1年目の今季は、シーズン序盤の連敗もあり、最下位に沈んだが、試合後に語るコメントは「やられたら、やりかえせ」の権藤監督のフレーズにそっくりだ。敗戦後のカコミは「明日、必ずやり返します」で締めくくられ、権藤イズムは、脈々と現在のベイスターズに受け継がれている。

リーグ優勝を決める試合前に斎藤隆の部屋を訪れ、先発を告げるなど、選手の気持ちを煽るのもうまかった


週刊ベースボール よみがえる1990年代のプロ野球 EXTRA1 セ・リーグ編 2021年11月30日発売より

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング