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<激震STORY>1990年代七番勝負 血肉わき躍る渾身の対決【セ・リーグ編】

 

熱く激しく、そしてドラマチック。今も語り継がれる1990年代を彩った名勝負を厳選し紹介しよう。
【パ・リーグ編】はこちら

1994年10月8日、あまりに有名な「10.8」決戦で巨人がリーグ優勝を飾る


【一番勝負】伝説の最終戦 同率首位決戦


1994.10.8 中日 3-6 巨人(ナゴヤ)

 空前絶後の優勝決定シーンだった。130試合制の129試合を終え、巨人と中日がまったく同じ69勝60敗で首位に並ぶ。しかも最後は直接対決だ。前日、巨人・長嶋茂雄監督は「もう社会現象というか、国民的行事になっていますからね」と声を弾ませた。巨人は総力戦を仕掛け、“先発三本柱”と言われた槙原寛己斎藤雅樹桑田真澄のリレーで挑んだ。試合はまさに死闘となる。守備中に巨人・落合博満が左足の肉離れ、一塁へのヘッドスライディングの際、中日・立浪和義が左肩脱臼でともに途中離脱。最終的には6対3で巨人の勝利となり、胴上げされた長嶋監督は「竜の背中にまたがり、天に昇るような気持ちです」と語った。この試合の関東での視聴率は48.8%だったという。

【二番勝負】衝撃の小早川3連発


1997.4.4 巨人 3-6 ヤクルト(東京ドーム)

 この年の開幕戦。前年の覇者・巨人の先発は、ヤクルトに絶対的な強さを誇る斎藤雅樹だった。しかも前年まで開幕戦で4年連続勝利、うち3年連続完封勝利だ。対するヤクルト・野村克也監督の秘策が五番・一塁の小早川毅彦広島から引退勧告を受けるも現役にこだわり自由契約となってヤクルト入りした男だ。小早川は3打席連続本塁打の離れ業で期待に応え、試合も勝利。いずれも相手バッテリーの思惑を見抜いての読み勝ちの一打であり、同時に「振ったところにボールが来るような感覚でした。ZONE状態に入っていたからだと思います」と小早川は振り返る。ヤクルトはそのまま優勝に突っ走り、斎藤は6勝8敗と不本意なシーズンに終わった。決して135分の1のゲームではなかった。

【三番勝負】もののけに取りつかれた大逆転勝利


1998.7.15 横浜 13x-12 巨人(横浜)

 この年、打ち出したら止まらないマシンガン打線と大魔神・佐々木主浩の活躍で38年ぶりの優勝を飾った横浜。特に6月30日の広島戦(横浜)で2対7の劣勢から逆転し、13対10と勝利したあと、神懸かり的な勝利を重ねた。その最大級の戦いが7月15日の巨人戦だった。3回表に0対7とリードされたが、3回裏に1点、4回裏に5点を返し、7回表に2点を取られると、すぐその裏に3点。さらに8回表に3点を取られた裏にも3点。このときの佐伯貴弘の2ランは、ライトフライでアウトのはずが、槙原寛己のボークで打ち直しとなった一打だった。最後は9回裏、波留敏夫のセンター越えのサヨナラヒットで13対12と勝利。試合後、横浜・権藤博監督は「もののけに取りつかれたようだ」と驚きを表現した。

【四番勝負】メークドラマの起点となった怒とうの9連打


1996.7.9 巨人 10-8 広島(札幌円山)

 開幕ダッシュを宣言した巨人・長嶋茂雄監督だったが、4月は7勝12敗と5位スタート。その後、5月は緊急補強した“お化けフォーク”のマリオ・ブリトーの活躍にあって16勝9敗と巻き返すも6月に再び失速。7月6日時点で首位・広島とのゲーム差は11.5に開き、優勝は絶望的となった。直後9、10日が札幌円山での広島2連戦だったが、初戦の2回二死から怒とうの9連打で7得点。先発・斎藤雅樹の乱調もありながら、10対8で逃げ切り、翌日も勝利。ここからチームは上昇する。長嶋監督は16日、「松井(松井秀喜)が40本を打つようなら2年越しのメークドラマが起こります」と宣言。以後、浮き沈みはあったが、10月6日、129試合目の中日戦(ナゴヤ)でメークドラマは完結。松井は38本塁打だった。

【五番勝負】V逸の原因となった? 八木の幻の本塁打


1992.9.11 阪神 3-3 ヤクルト(甲子園)

 亀山努新庄剛志をはじめ投打で若手が台頭し、旋風を起こした阪神。9月9日からの7連勝で首位に立ったが、この中に挟まれた11日のヤクルト戦(甲子園)が死闘になる。3対3で迎えた9回裏、阪神・八木裕の打球がレフトスタンドに消え、劇的サヨナラ弾。八木はバンザイしてホームにかえり、ナイン総出で迎えた。しかし、ヤクルト・野村克也監督が「左翼ラバーに当たってから飛び込んだ」と抗議、エンタイトルツーベースと判定を覆すと、今度は阪神・中村勝広監督が37分間の抗議。結局、この試合は延長15回、6時間26分のドロー(史上最長試合時間)。阪神はその後、22日からのロードで急失速し、巨人とタイの2位に。ファンが「あれさえ入ってれば」と振り返る試合になった。

【六番勝負】新庄伝説の敬遠球サヨナラ打


1999.6.12 阪神 5x-4 巨人(甲子園)

 阪神が野村克也監督となった初年度。6月9日首位に立ち、11日から宿敵巨人を甲子園に迎えての3連戦だったが、初戦を落とし12日のゲームを迎える。4対4のまま進んだ延長12回裏一死一、三塁だった。巨人ベンチは8回裏に9号同点弾、11回に三塁打を放っていた四番・新庄剛志を敬遠し、五番・マーク・ジョンソンとの勝負を選択。しかし槙原寛己が投じた2球目が外角高めへの中途半端な球となり、新庄がバットを出すと三遊間を抜くサヨナラヒット。一塁ベースを踏んだあと、大きくジャンプした。試合後のお立ち台で「あしたも勝つ!」と新庄は力強く宣言。野村監督は「なんせ投手もできる万能選手やからな。あ、投手はまだ続行中や」(この年、キャンプで二刀流挑戦)と頼もしき四番を称賛した。

【七番勝負】優勝へと導く山崎のサヨナラ弾


1999.9.26 中日 5x-4 阪神(ナゴヤドーム)

 開幕11連勝からスタートし、優勝にひた走った中日。優勝へ最後の一押しとなる劇的な試合が、ナゴヤドーム最終戦、9月26日の阪神戦だった。2対1のリードで迎えた9回表、守護神・宣銅烈が代打・ジョンソンに痛恨の3ランを浴び、逆転を許す。それでも敗色濃厚で迎えた9回裏、一死一、二塁から山崎武司の逆転サヨナラ3ラン。打った瞬間、両手を高々と上げ、全身で喜びを爆発させた。「言葉がない。これまでで一、二番の当たり」と山崎が言えば、星野仙一監督も「夢を見ているみたいや。信じられん。これが野球か」と口にした。この年10度目となるサヨナラ勝ちだった。なおこの年、起用法に不満があった山崎は後年の著書で「俺を出しとけば、ちゃんと打つんじゃ!」とほえたと明かした。

週刊ベースボール よみがえる1990年代のプロ野球 EXTRA1 セ・リーグ編 2021年11月30日発売より

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