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<激震STORY>1990年代七番勝負 血肉わき躍る渾身の対決【パ・リーグ編】

 

熱く、そしてドラマチック。今も語り継がれる1990年代を彩った名勝負を厳選し紹介しよう。
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90年代ラストイヤー、西武松坂大輔イチローの戦いは平成の名勝負と言われた[写真は99年5月16日の初対決]


【一番勝負】平成の名勝負数え唄第1章


1999.5.16 西武 2-0 オリックス(西武ドーム)

 1999年、横浜高から“平成の怪物”と呼ばれた松坂大輔が西武入団。その瞬間からファンが待ち望んだ夢の対決が現実のものとなった。西武ドームに集まった5万人の大観衆の前での松坂とオリックスのイチローの初対決は、初回だ。初球149キロのストレートが低めに外れ、2球目、153キロの高め真っすぐはファウル。そのあと2球ボール、1球ファウルのあとの6球目で決着する。外角への147キロの真っすぐで空振り三振だ。そこから3打席連続三振。4打席目で四球を与えたが、まずは松坂の完勝と言っていい。シーズン3勝目を挙げた松坂は、試合後のお立ち台で「自信が確信に変わりました」と胸を張り、イチローもまた「久しぶりに勝負以外のところで楽しめた」と笑顔を見せた。

【二番勝負】イチローのサヨナラ打で優勝決定


1996.9.23 オリックス 7x-6日本ハム(GS神戸)

 8月に15勝7敗2分けの快進撃を見せ、日本ハムを抜き去り首位に立ったオリックス。9月に入り一気に突き放し、23日にはマジック1で本拠地GS神戸での日本ハム戦を迎えた。しかし、5対6とリードされ、9回裏の攻撃も二死。優勝は翌日以降に持ち越しかと思われたところで、飛び出したのがD・J(ダグ・ジェニングス)の代打同点弾だ。そして10回裏、先頭の大島公一がライト前ヒットで出塁すると、続くイチローのサヨナラ打で優勝決定。イチローにとってサヨナラ打はプロ初であり、サヨナラでの優勝決定もパでは初だった。「勝った瞬間、自然にガッツポーズが出ました。こんなことはまだ22年しか生きていませんが、生まれて初めてのことです。最高を通り越しています」とイチローは声を弾ませた。

【三番勝負】語り継がれる七夕の悲劇


1998.7.7 オリックス 7x-3 ロッテ(GS神戸)

 名勝負と呼ぶには残酷過ぎるかもしれない。勝負の非情さを痛感させられた一戦だった。開幕から順調に滑り出し、5月4日までは首位に立っていたロッテだったが、ジワジワ順位を下げ、6月13日から出口の見えない連敗が始まった。1分けを挟む16連敗で迎えた7月7日は、GS神戸でのオリックス戦。ロッテは先発・黒木知宏の力投もあって3対1とリードし、9回裏オリックスの攻撃となった。しかし、二死からハービー・プリアムが同点2ラン。黒木はマウンドに崩れ落ち、そのまま交代。ベンチ裏で号泣した。そして延長12回裏、オリックスが広永益隆の満塁サヨナラ弾で勝利。試合後、黒木は脱水症状と体力消耗から全身がけいれんし、コーチに抱きかかえられながらバスに向かった(連敗は18でストップ)。

【四番勝負】伊東が開幕戦史上初の逆転サヨナラ満塁弾


1994.4.9 西武 4x-3 近鉄(西武)

 前年リーグ4連覇を達成した西武が、近鉄を本拠地・西武球場に迎えての開幕戦だった。8回を終え、近鉄の先発・野茂英雄に無安打無得点に抑え込まれていたが、0対3で迎えた9回裏にドラマが起こる。清原和博の二塁打で記録が途切れたあと四球、エラーで一死満塁。ここで前日、「野茂と心中や」と話していた近鉄・鈴木啓示監督がしびれを切らし、守護神・赤堀元之にスイッチ。これが完全に裏目に出る。伊東勤が自身通算1000安打目、開幕戦では史上初となる逆転サヨナラ満塁本塁打。飛び跳ねて喜びを表現した伊東は「逆転満塁サヨナラなんて野球選手の夢ですよ」と興奮気味に語り、野茂は「赤堀が打たれたんだから仕方ない」とだけ言い、あとは口を閉ざし、何も言わなかった。

【五番勝負】伊良部が史上最速158キロをマーク


1993.5.3 西武 5-0 ロッテ(西武)

 スタンドの大歓声にマウンドのロッテ・伊良部秀輝が振り返ると、電光掲示板に当時の日本最速「158キロ」が掲示されていた。この日、伊良部は先発ではなく、8回からの登板だった。対する先頭打者は西武の四番・清原和博。ここまで2打席連続本塁打と絶好調だった。まず初球151キロは見逃しストライク、2球目156キロをファウルで、そのあとの3球が158キロだったが、ファウル、4球目も158キロを出すが、やはりファウルだった。このあと5球目の154キロもファウルとされ、カーブのボール球を挟み、157キロのストレートは右中間にはじき返されて二塁打となった。「清原さんでなければ158キロは出なかった。100の力で来るなら120の力で抑えてやるとなりますから」と伊良部。

【六番勝負】野田が驚異の19奪三振


1995.4.21 ロッテ 2x-1 オリックス(千葉マリン)

 オリックス先発の野田浩司がすさまじいペースで三振を奪っていく。プラスになったのは千葉マリン名物の海からの風だ。バッテリー間は強烈な逆風となり、もともと落差の大きいフォークが風に押され、止まって真下に落ちるかのような変化をした。記録を意識したのは7回に16個目を取ってからという。1対0とオリックスのリードで迎えた8回裏には平野謙から空振り三振を奪い、史上単独最多18奪三振を達成。しかし9回裏、平井光親のライナーに突っ込んだセンターの田口壮が打球を後逸し、タイムリー三塁打になり、同点。その後、満塁策として二死からまたも平野を三振に仕留め、記録を19に伸ばしたが、10回裏、代わった平井正史が打たれ、オリックスはサヨナラ負けとなってしまった。

【七番勝負】野茂が17奪三振でプロ入り初勝利


1990.4.29 オリックス 2-15 近鉄(西宮)

 史上最多8球団が1位指名競合し、近鉄入りが決まった野茂英雄。独特のトルネード投法からの150キロ前後の剛速球と落差の大きいカーブで、ルーキーイヤーから旋風を巻き起こした。ただし、出だしは苦しむ。4月10日、藤井寺での西武戦でのデビュー戦は6回5失点で敗戦投手、続く18日のオリックス戦(日生)は8回途中7失点で2敗目を喫した。初勝利はリリーフ1試合を挟んだ4月29日のオリックス戦だ。当時の1試合最多タイ記録となる17三振を奪っての2失点完投勝利。ただし15対2の大勝とあって初勝利の喜びは抑えめで、「バックの皆さんのおかげです」と語っていた。最終的には18勝、防御率2.91。先発投手タイトルを独占し新人王、MVP、沢村賞にも輝いている。

週刊ベースボール よみがえる1990年代のプロ野球 EXTRA1 パ・リーグ編 2021年12月23日発売より

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