図抜けた才能とフィジカルを、飽くなき向上心によりさらに磨き上げることで、ファイターズを高みへ押し上げ、MLBでも尊敬を集める存在となった。厚い信頼を得たかつての“相棒”が、その実像を語る。 取材・構成=杉浦多夢 写真=BBM 北の大地での存在感
2004年秋のドラフトでダルビッシュがファイターズに1位指名されて入団してきましたが、最初からピッチャーとしての絶対的な自信のようなものを感じました。真っすぐの速さや変化球の多彩さ、自分の納得できるボールを投げることができれば、絶対に抑えられる。そんな高校生離れしたオーラをまとっていました。
真っすぐが速かったのもそうですが、変化球をものすごくうまく投げるなというイメージが強かったですね。ファームの試合でも相手打者の反応を見ながら、握りを変えて自分のベストな球は何なのかを探る。そういうことができるピッチャーでしたし、のちに「自分は変化球ピッチャーだ」と言っていますが、当時から変化球を操る自信があったと思います。
2年目の06年からバッテリーを組む機会が増えていきましたが、彼にとっても転機となったのが同年の
ヤクルトとの交流戦(6月13日、神宮)。打線が爆発し、私もホームランを打って5回までに7点を奪ったものの、先発したダルビッシュは右肩の不調もあって5回途中までに6失点。勝ち投手になれなかったという試合がありました。本人も発言していますが、ここからサプリメントやトレーニングを含めたコンディショニングへの意識が一気に変わりました。
メジャーに行くまでの間に圧倒的な成績を残しましたが、常に新しいことにトライし続けていました。ツーシームを投げまくった年もありましたし、いきなり体をドーンと大きくした年もあった。飽くなき向上心を持って、ひとりだけまったく違うところを見ながら野球をしている感じでしたし、そんなダルビッシュの姿を見て、僕たちも・・・
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