兄である新井貴浩監督とともに、指導者として地元・広島に帰ってきた。子どものころにあこがれていた赤いユニフォームに袖を通し、1年目(2023年)から熱い気持ちを持って選手たちと向き合う毎日。“いつか”のチャンスのために、一人ひとりの価値を高めて、可能性を広げていく。 取材・構成=菅原梨恵 写真=佐藤真一、BBM “教える”という概念ではなく、「寄り添う」「導く」「支える」がモットー
迷うことのなかった決断 人生は全部、タイミング
広島生まれ、広島育ち。それゆえに、「カープの大ファンだった」と新井良太二軍打撃コーチは言う。兄である新井貴浩氏が2022年オフに監督に就任。それとともに、新天地・広島で、これからのチームを担う若い選手たちの育成を託された。新井コーチにとって、現役時代にプレーしたか否かなどは、まったくと言っていいほど関係なかった。縁あって帰ってきた地元では、タイガース時代とはまた違った充実の日々が待っていた。 まさか自分が、カープのユニフォームを着るとは思っていませんでした。地元球団とは言っても、現役時代はプレーしたことのないチーム。ただ、オフシーズンのトレーニングは現役当時から広島でやっていたこともあって、コーチ陣の方などまったく知らないところに来たという感じでもなかったんです。それに実際に入ってみたら、先輩コーチに選手たちもみんな、まったく気を使ったりせず、僕がやりたいようにやらせてもらいましたね。
兄が監督になって(コーチ就任の)話をもらったとき、まったく迷いはありませんでした。本当にすぐに「分かりました、行きます」というふうに返事をしたので。今、思うと、兄が監督になった時点で、どこかで声が掛かるかもしれないなというのがあったのかもしれません。むしろ、そういうタイミングなんだ、と。人生は全部、タイミングだと思っているんです。兄が監督になった、そして私が呼ばれた。それはもう、即決でしたね。
選手と接する上で大事にしていることは、タイガース時代と変わりません。一番は「一方通行にならないこと」。指導というか、私のコーチングのモットーは「寄り添う」だったり「導く」というものなんです。そういう認識で「支える」こともそう。なので、そもそも“教える”という概念じゃないんですよね。
選手たちはやっぱり新しいコーチ、しかも他球団から来たということもあって、物珍しいからか、いろいろと聞きたくなるじゃないですか。私がどういう人間なのか、コーチング、メカニック的なこと、メンタル的なこと、すごく聞いてきてくれて、それに対して「こう思うよ」「ああ思うよ」と言いながらやってきましたね。あっと言う間の1年でした。
昔と変わってきているのは、今の選手たちは自分なりにいろいろと考えて来ている。情報もたくさんあふれていますからね。こういうことをやってみたい、ああいうことをやってみたいと、それぞれに思うところがあったりするんですよ。そういうところを、まずは“見てあげる”。話をしながら「今、どういうことを意識しているの?」と聞いた上で、返ってきた答えを1回のんであげて。一緒にやってみて、うまくいかなかったら「どうなんですかね?」と聞いてきてくれるので、そのときに初めて僕の引き出しを、「こう思うんだけど、どうかな」と提案してみる。そういう意味では、お医者さんというか、カウンセリングに似ている感じですよね。
花粉症の症状があるのに、下痢止めの薬は渡さないじゃないですか。何が効くかなと話を聞きながら。それは選手一人ひとり違うわけです。身体的特徴だったり、選手としてのタイプも異なる。そういうところも加味しながら、常に観察して、小さな変化も見逃がさないように。とにかく「見る」「コミュニケーションを取る」ということを最優先にやっています。
カープはやっぱり「家族」と言われるように・・・
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