中村紀洋は日本では22年間で通算2101安打、404本塁打と輝かしい成績を残した。一方、メジャーではドジャースで17試合に出場して39打数5安打、本塁打ゼロであった。アメリカでの1年間は不本意なものであっただろう。 右ヒザの状態が万全でなく……

ドジャース時代の中村紀洋
そもそもメジャー移籍で遠回りした。2002年のシーズン終了後、中村は近鉄からFAになり、メッツと2年契約で合意。ところが正式契約前のこの段階で、MLB.comに記事が掲載される。あくまでメディアサイトなのだが、球団発表だと思った中村は「こんな球団は信用できない」と、契約を反故にし、近鉄に残留。05年の1月にポスティングシステムでドジャースに移籍する。ドジャースは前年に48本塁打でタイトルを獲ったエイドリアン・ベルトレイがFAでマリナーズに移籍。三塁手を必要としていた。
しかし右ヒザの状態が万全ではない。05年のシーズンは開幕を3Aで迎えた。それでも故障者が出て4月10日に昇格し、ダイヤモンドバックス戦に代打で出場してマイク・コプラブから右前打を放った。初打席初安打と幸先よいスタート。4月12日のジャイアンツ戦では先発左腕カーク・リーターから三塁線をゴロで抜く二塁打を放った。だがその後はメジャーの投手に苦しみ、5月6日を最後に降格した。そのまま3Aでシーズンを終え、日本球界に復帰した。
41打席のチャンスを与えられたが安打は5本だけ。安打を放った相手のうち、先発投手はリーターからだけで、あとの4安打は元
巨人、
阪神の
ダレル・メイら中継ぎ投手から。リーターも1997年から7年連続2ケタ勝利をマークしたが、05年は2勝だけで、この年限りで引退した。つまり一線級の投手に対しては結果を出すことができなかったのだ。
タラ、レバは禁物だが、02年オフにすんなりメッツに入団していたらどうなったのだろうか? 後にオールスターに7度選出されるデービッド・ライトがメジャー・デビューするのが04年だ。中村も03年に右ヒザを痛める前だっただけに、三塁手として本来の実力を発揮できたかもしれない。
運命とは微妙なものである。ただ、日本に戻ってから9年間プレーしたことには意地を感じる。
『週刊ベースボール』2021年6月28日号(6月16日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images