春夏の甲子園で優勝、準優勝が計3度の実績を誇る、神奈川の名門・東海大相模。チームに伝統的に根付くスタイルが「アグレッシブ・ベースボール」だ。積極的、攻撃的な姿勢が生み出すメンタルとは。2005~07年に同校に在籍し、2年春にセンバツを経験した田中広輔(現広島)の言葉で真髄に迫ると共に、故・原貢氏との思い出も振返る。 練習の継続が伝統 父も着たあこがれのユニフォームに袖を通したとき、伝統の重みに初めて触れた。代々と受け継がれてきた練習への取り組みとその継続こそ、東海大相模たるゆえん。過酷な日々を乗り越えているから、タテジマのユニフォームにはプライドが宿る。
東海大相模が東海大相模であり続けていること。それは、僕が在籍する前から今に至るまで変わることがない、猛練習にこそあると思います。特別に変わった何かをしているということはありません。ただただ、基本の反復の毎日。それを続けているから選手が入れ替わろうとも、強いチームであり続けられるのではないでしょうか。
僕が理解する範囲で思いつくのは、それしかありませんね。僕が在学していた当時、練習量はほかのどの高校にも負けていないと思っていましたし、卒業してからもそう思います。練習はウソをつかない。そのことを思い知らされた高校時代でした。今の選手たちもそういう思いを持ってプレーしていると思います。
それを続けられるのは門馬(敬治)監督の指導があるから。門馬監督はスゴイと思いますよ。野球をすごく勉強されている方で、野球の細かいところまで教わりました。僕の今の野球観は東海大相模で鍛えられたものが、根底にあります。
僕は父が東海大相模の野球部のOBだったこともあり、小さいころから高校野球を見に行くとなれば、東海大相模の試合でした。そのころから東海大相模のタテジマのユニフォームはカッコ良かったですね。父の影響とユニフォームへの純粋なあこがれが進学先に選んだ理由です。
部員は随時、100名を超えるくらいは在籍しています。中には寮外生もいますが、ベンチ入りするような選手になるとすべてが寮での生活となります。僕はずっと寮生活でしたが、1年生のときも特別厳しいことはありませんでした。下級生として当然の仕事があるくらいで、それほどストレスのある寮生活ではありませんでしたね。
入った当時、上級生たちに感じたのは「強さ」と「怖さ」です。強さは練習に耐える体力面、怖さはもし対戦すると想像したときに覚えるものです。東海大相模の選手であることへのプライドがそういう空気をつくり出していたのではないかと、今になって思います。そして、そういう強さや怖さを持つ選手になるために練習を継続するのが東海大相模に根付く伝統ではないでしょうか。
だから初めてユニフォームを着たときはうれしかったですね。言葉にできない喜びがありました。オープン戦用のユニフォームは全員に配られますけど、本番用、これは夏の甲子園の予選と関東大会以上に進んでからでないと着られないんです。そういう特別な感じに身が引き締まる思いを感じていました・・・
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