ここからは、多くのファンを魅了した名選手たちがどのようにして現役を引退していったのか。主な名選手たちの去り際を集めてみた。 写真=BBM 余力を残す選手
最後まで全力を尽くす選手
前ページのインタビューに登場した
木田優夫が興味深いことを語った。木田が
日本ハム時代に指導を受けた
吉井理人投手コーチは「投手たちがブルペンで投げるのを見ていると自分もまだそれくらいは投げられるんじゃないかという感覚があって、悔しい思いが残っている」というような話をしていたという。2011年、現役に見切りをつけ、
阪神の投手コーチとなった
藪恵壹も春季キャンプのときに「まだ俺の方が速い球が投げられる」とまじめな顔で語った。
現役引退――。多くの選手が未練を残してグラウンドを去ることの方が多い。ほとんどの選手たちが戦力外という、球団から勧告を受けての引退で、自ら退くという決意ができる選手たちはやはり幸せなのかもしれない。
自らという意味では「
王貞治のバッティングができなくなった」という理由で引退をした王貞治(現
ソフトバンク会長)の去り際は、驚きそのものだ。引退を決めた1980年、王は40歳で129試合に出場し、打率.236ながら30本塁打を放ち、打点も84と一軍選手としては立派な数字だが「世界の王」としては不甲斐ないという理由だった。もし、次年も現役を続けていれば30本塁打近い数字を残していたはずだけに、王の去り際は、大きなインパクトを野球界に残した。

▲80年のシーズン後「王貞治のバッティングができなくなった」という理由で引退を表明した王
一方、「わが
巨人軍は永久に不滅です」の名言を引退試合のスピーチで言葉にした
長嶋茂雄(現巨人終身名誉監督)。現役最後は・・・
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