
10月11日、済美高グラウンドの一塁ベンチで取材を受ける安楽。背後には甲子園でお馴染みだった、上甲監督の笑顔の遺影が飾られていた
弔辞で指揮官の夢を書き加えた理由
済美高グラウンド右翼後方の室内練習場は静寂に包まれた。心地良い「パン!」というミット音のみが響き渡る。
10月11日、
安楽智大はプロ志望届提出以降、初めて練習を公開。テレビカメラ5台をはじめ、約50人の報道陣の前で元気な姿を見せた。公の場で投球を披露するのは、愛媛県大会3回戦(対東温高)で敗退した7月24日以来。立ち投げとはいえ、力のこもった30球は、復調をアピールするには十分だった。
「10月23日は特別な日になると思うんですけど、自分のできることはすべてやってきた。今までと変わらず練習し、あとは信じて待つだけ。全国制覇、160キロへの挑戦、ドラフト1位でプロ入りと、高校へ入学したときに監督と交わした約束の中でも、3つめを一番願っていた。監督の夢を背負い、1巡目(1位)で名前を呼んでいただけるよう願っています」
2年春のセンバツ準優勝。同夏の県大会準決勝で自己最速157キロ。春夏連続甲子園出場後は18Uワールドカップ(韓国)で銀メダルを獲得。充実の2年時とは一転し、主将に就任した同秋以降は厳しい1年を過ごした。
県大会1回戦で右ヒジ痛。年内はノースローで年が明けても一進一退の調整が続き、春は登板なく地区予選敗退。4月に入って捕手を座らせ、急ピッチで照準を合わせたが、ノーシードの夏は不完全燃焼に終わる。最速も148キロだった。
「次、ケガをしたら(投手人生が)ダメになる・・・
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