6月11日のロッテ戦(QVCマリン)で2000安打を達成した中日の和田一浩。プロ19年目、42歳11カ月で成し遂げた偉業は、指揮官でもある谷繁元信(42歳4カ月)を抜く史上最年長記録でもあった。ここでは超遅咲きの打撃職人の野球人生を辿るとともに、後半戦に2000安打達成が期待される男たちにもスポットを当ててみたい。 過去に45人いる2000安打達成者の中で、20代で規定打席に一度も到達しなかったのは和田一浩が初めてであり、さらに34歳までに1000本を打ってないのも史上初だ。2000安打の約4分の3にあたる1470本を30代で放ち、20代だったプロ入りから最初の5年間で打ったヒットはわずかに149本。だが、それだけしか打てなかった理由にはチーム事情も関係していた。
97年に
西武入団時のポジションは捕手。当時は
伊東勤(現ロッテ監督)という絶対的な正捕手がいたため、和田の出場機会は代打などに限られていた。そこで
伊原春樹監督の勧めもあって、02年に外野手転向を決意。これが大きな転機となる。30歳になったこの年に初めて規定打席に到達し、翌年からも不動のレギュラーの座をつかむ。しかし、このときに将来的に2000本を打つバッターにまでなるとは周囲も思ってなかったというのが本音だろう。
西武入団時のポジションは捕手だった和田。外野への転向後にその非凡な才能が開花した
それでも和田はひたむきにまい進し、05年には首位打者と最多安打、10年にはMVPなどのタイトルを獲得し、日本を代表する右の強打者へと大きく成長。30代を過ぎてからの遅咲きの大ブレークであった。
普通なら力が落ちてくる30代に入ってからなぜ安打を量産できたのか。その要因の一端が・・・
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