
日本一には一度もなれなかった西本幸雄監督。ただ、それがこの男の指揮官としての評価を下げるわけではない
「悲運の名将」と呼ばれた男がいる。しかし、その男、西本幸雄は、無愛想なしかめっつらで、いつも否定した。
「選手のおかげで8度もリーグ優勝ができたんや。何が悲運や。こんな幸せな男がどこにおる」
そう8度、勝った。だが、そのすべてで日本シリーズで負けた……。
1960年、40歳で大毎(現
ロッテ)監督に就任し、1年目で優勝。しかし、日本シリーズで
三原脩率いる大洋に0勝4敗で敗れると、直後に解任となった。スクイズ失敗があり、それを消極策と感じたオーナー、永田雅一が「なんでスクイズなんだ。評論家は、あんなことしないと言っているぞ」と怒りの電話。それに「チームを一番知っているのは私」と一歩も引かず反論。最後は永田の「バカヤロー!」で電話を切られた。
次は阪急だ。63年、43歳で就任。出来上がっていた大毎と違い、弱く、負け犬根性が染みついていた。西本は、若手を徹底的に鍛え上げ、67年に初優勝に導く。球史に残る奇跡と言っていい。優勝したからではなく・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン