
昼寝に来ただけです。静かなんで熟睡です
野球が球場で行われる以上、球界事件史と球場事件史は、ほぼイコール。ただ、球場に罪はなく、いつも悪いのは人間だ。ここでは球場が“舞台&被害者”の事件をいくつか紹介していくが、殺伐とした内容の前に、80年代後半、川崎球場の情景を(上写真)。試合前ではなく、試合中のごく日常的な風景である──。 ファンが大激怒!平和台事件【1952年7月16日/平和台球場】

毎日ベンチにとてつもない数のファンが押し寄せる
すでに65年前の話だが、とにかく壮絶な事件だった。西鉄-毎日戦は雨のため試合開始が遅れ、16時55分にスタート。当時、平和台には照明設備がなく、いくら日が長い季節とはいえ、この時点で中止とすべきだった。さらに雨のため試合は2度中断。4回裏、西鉄の攻撃が始まったのが18時46分だった。このとき4対5と1点のリードを許していた毎日は、そこから試合不成立を狙って、不要なけん制球を繰り返す、タイムを取って、スパイクの紐を結び直す、ベンチで水を飲むなど、露骨な遅延行為に出た。
ついに19時30分、審判団がこの暗さでは試合続行は不可能と判断して、ノーゲームを宣告。怒ったのは西鉄ファンだ。一斉にグランドに乱入し、毎日の選手を襲う。結局300人以上の警官に守られ、福岡市警に避難した後、宿舎に。責任を取り、後日、毎日の湯浅禎雄総監督は辞任となった。
死者3人、重軽傷335人中日球場で火災!【1951年8月19日/中日球場】

避難誘導の失敗も被害を大きくした
中日球場(のちナゴヤ球場)の名古屋(現中日)-
巨人戦の試合中だった。3回裏、名古屋の攻撃中にネット裏上段の指定席付近から出火し、強風もあって瞬く間に火が広がると、当時木造だった内野スタンドが全焼。パニック状態になった満員の観衆が出口に殺到したため、折り重なるように倒れ、死者3人、重軽傷者335人という大惨事となった。それ以前から火のついたタバコの消し忘れなどで、幾度となく火事騒ぎが起きており、このときの出火原因もタバコだった。再建となったときは鉄筋コンクリートの客席となっている。
中断2時間半で突然の中止にファンが球場を破壊した【1964年6月30日/広島市民球場】

押し倒された内野フェンス
この事件の被害者は、球場だ。
広島-
阪神戦の2回裏、投手前の小飛球に対する審判のジャッジでもめ、観客に対して、なんの情報も与えることなく、試合が中断された。そのまま2時間半が過ぎ、21時半になったところで・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン