1965年秋からスタートし、今回が53回目となったドラフト会議。毎年、幾多のドラマが繰り広げられ、多くの笑顔と、そして涙があった。ここでは過去のドラフト会議をドラフト1位選手を中心としながら球団別に振り返ってみよう。 ※ドラフトの年は会議の開催年。文中も 
長嶋新監督が松井を引き当てる[左端。1992年]
球界の盟主
巨人にとって決して歓迎すべきものではなかった。もともと「誰もが入りたがる球団」であったことが甘えになり、逸材発掘面で弱さがあったが、これが制度後、はっきり出た。ただ、だからこそドラフトの目的である戦力均衡がスムーズに成し遂げられたと言っていいのかもしれない。
ドラフト1年目の65年にV9のエース・
堀内恒夫、67年に好守巧打の外野手・
高田繁を獲得し、これでV9最強チームがほぼ完成。だからかどうか分からぬが、
川上哲治監督は、あまりドラフトに関心を持たず、フロント任せにしていた節がある。
自由競争の時代には、好きな選手はすべて取ってきた球団だけに、実現はしなかったが、68年には
阪神が指名した
田淵幸一(法大)を・・・
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