1965年秋からスタートし、今回が53回目となったドラフト会議。毎年、幾多のドラマが繰り広げられ、多くの笑顔と、そして涙があった。ここでは過去のドラフト会議をドラフト1位選手を中心としながら球団別に振り返ってみよう。 ※ドラフトの年は会議の開催年。文中も 
ダルビッシュは一本釣りに成功[2004年]
スタートは東映時代だ。初代ドライチは快速球右腕の
森安敏明だったが、のち“黒い霧事件”で永久失格となった。比較的序盤から成功率が高く、66年二次には、1位で
高橋善正、2位で
大下剛史(駒大)、67年は3位で
高橋直樹(日本鋼管)、68年には1位で
大橋穣、4位で
金田留広(日本通運)を獲得している。
東映の最後、日拓最初の72年ドラフト1位が
新美敏。翌73年からは
日本ハムのユニフォームを着るのだからあわただしい話だ。
70年代、80年代と全体的には、指名も比較的無難な線を狙う印象が強かったが、79年には1位で・・・
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