その名のとおり「シンク」=「沈む」ボール。それがシンカーだ。特に真上から腕を振り下ろさないためにフォークボールを投げにくい、アンダーハンドやサイドハンドの投手たちがこのボールを操ってきた。また左投手が投げるシンカーは「スクリュー」とも呼ばれる。低めにコントロールすることで空振りが奪える決め球だ。 
山田はシンカーを身につけて復活を遂げた
“沈む”ボール
日本球界にシンカーをもたらしたのが、“七色の変化球”と呼ばれた多彩な球種で45歳まで投げ続けた日系ハワイ人右腕の
若林忠志(元
阪神ほか)だ。法大時代にヒジを痛めたことで、さまざまな球種と腕の角度を使い分けるコントロール重視の頭脳派となっていった。
ナックルを日本球界で初めて投げた投手とも言われている。
同時代のシンカーの使い手が伝説の大投手である
スタルヒン(元
巨人ほか)。重い速球とドロップカーブで1939年には史上最多のシーズン42勝をマークしたが、68試合に登板した蓄積疲労もあり、シンカーをはじめとする変化球を生かした投球術を身につけていった。戦後はさらなる技巧派に転身し、史上初の300勝を達成している。ほかにも41年に30勝11完封をマークした阪急・
森弘太郎など、シンカーは戦前から比較的ポピュラーな変化球だった。
戦後になっても、剛腕投手からモデルチェンジを果たしてスタルヒンに次ぐ300勝投手となった
別所毅彦(元巨人ほか)や、56年セ・リーグ防御率1位の
渡辺省三(元阪神)ら、数々の技巧派投手たちがシンカーを決め球としていた。
60年代には巨人の左腕・
高橋一三が日本球界で初めて・・・
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