1982年の第64回大会は2本塁打、7打点で「山びこ打線」をけん引し、全国優勝に導いた水野雄仁氏。翌83年のセンバツではエースとして、また中軸打者として10打点を挙げ夏春連覇を成し遂げた。「最強池田」の象徴、水野氏が当時を振り返る。 取材・構成=椎屋博幸 写真=BBM 
豪快な打撃も水野の特長でもあったが、3年生ではエースとして貫録の投球を見せていた
記憶の中では江川が、現実では畠山が最強投手
「山びこ打線」「阿波の金太郎」というキーワードだけで、多くの甲子園ファンは誰のことかすぐに分かる。池田高の水野雄仁氏だ。「IKEDA」の白いユニフォームからはち切れそうな筋肉ムキムキ体で、強烈な打球と剛球で他校を圧倒した。 小学生低学年のとき、うっすらと覚えているのは、作新学院高時代の「
江川卓」さん。すごい球を投げる江川さんを見に行きたいと、父親にお願いして、やんわり断られたんです(笑)。その後、甲子園に連れて行ってもらって初めて見た試合が、鹿児島実高のエース・定岡(
定岡正二)さんと東海大相模高の原(
原辰徳)さんの対戦でした。
小学校高学年になり、鮮明に覚えているのは横浜商高のジャンボ宮城こと
宮城弘明さん。そして横浜高の愛甲(
愛甲猛)さん。ただ、小学6年生のときに、箕島高と池田高が決勝で対戦しているんですけど、それはあまり記憶がないんです。
中学1年生になったときに、兄が高校1年になったので、初めて徳島県ではどこが強いのだろう、と思うようになったんです。それでも・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン