“あの~”という言葉で思い起こされる強いチームが、どの年代にもあるものだ。夏の聖地に強烈なインパクトを残し、時代をけん引したチームを紹介しよう。 優勝メンバーは背番号正式採用(1952年夏)以前のものは原則として初戦の出場選手をポジション順に配列し、以降は任意。 
70年代、センバツを3度制していたが、4度目の夏で初制覇。尾藤監督[前列左端]もスマイル
尾藤スマイル連発。公立唯一の春夏連覇
箕島高が全国の舞台に登場したのは、1966年に同校OBだった尾藤公監督が就任してからのこと。67年夏に和歌山大会準優勝で自信をつけると、エース・
東尾修(のち
西武)を擁して68年春、初めての聖地へ。ここから甲子園は箕島の時代に突入する。
ただし、70、77年と2度選抜を制してはいたが、夏は届かず。そのカベを打ち破ったのが、79年だった。アンダースローの
石井毅(住友金属―西武)と
嶋田宗彦(住友金属―
阪神)のバッテリーで、3たび選抜を制し、夏も順調に甲子園へ。その夏はドラマの連続だ・・・
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