17歳の決断に多くの国民が注目した。平成最後の夏、甲子園準優勝。「KANANO旋風」の立役者となった152キロ右腕は、悩み抜いた末にプロ志望を表明した。大学進学から一転、ドラフト1位指名が有力だ。 取材・文=岡本朋祐 写真=井沢雄一郎 
甲子園後のメディア対応では「好きな球団」を答えていたが、職業とは別問題。ドラフトにおいては「12球団OK」の姿勢を示している
約130人の報道陣が集まった金足農高体育館。
吉田輝星の進路表明会見の「答え」は、分かっていた。今夏の秋田大会前の段階では、八戸学院大への進学を固めていた。なぜならば、金足農高・嶋崎久美元監督の紹介により、春先から同大学野球部・正村公弘監督の指導を受けた“恩”があったからだ。嶋崎氏は金足農高を34年間率い春3回、夏4回の甲子園出場。2012年3月限りで金足農高監督を勇退後、同4月から16年秋までノースアジア大を率いた。同じ北東北大学リーグの八戸学院大・正村監督とはかねてから親交があった。2年秋まで勝ち切れなかった吉田に起爆剤を与えようと・・・
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