渡辺佳明は歴代4位タイの51勝を挙げた名将・渡辺元智を祖父に持つ。孫は周囲からの特別な視線を力に変えて、楽天からドラフト6位指名を受け、夢であったプロ入りを実現させた。渡辺家には、白球を通じて築かれた深い絆があった。 取材・構成=岡本朋祐、写真=BBM 
渡辺佳明の夢は、家族の夢。プロ入りを誰よりも喜んだのは、幼少時から野球をたたき込んだ祖父・元智さんだった
昨年末の家族会議で「プロ挑戦」を後押し
孫の晴れ舞台を、祖父はわが子のように見守った。11月22日、仙台市内で楽天の新入団会見が行われた。ドラフト6位で指名を受けた渡辺佳明は「自分は小さいころから野球を教えてもらったおじいちゃんに『ありがとう』と言いたい」と話した。記者会場には横浜高校の恩師でもある祖父のほかに、同野球部の合宿所で寮母だった祖母、母の姿もあり、渡辺家には微笑ましい光景が広がっていた。 渡辺 入団会見は感極まったね。野球人生で最高の瞬間だった。小さいころ、私は(家庭の事情で)両親と一緒に生活した記憶がほとんどない。決して人には言わなかったが、プロ野球選手になれば、オヤジとお袋と暮らせると思い込んでいた。
行けるかどうかは別にして、大学へ進学して(プロの世界も)見えてきた矢先、肩を痛めてしまった。今の医療技術ならば、治っていたかもしれない。結局、現役選手を断念せざるを得ない状況となり1年間、自暴自棄の生活を送った。そんな私を、横浜高校が助けてくれた(1965年にコーチ就任、68年に監督就任)。時は流れて、松坂(
松坂大輔、
中日)が在籍していたときに佳明が生まれた。野球部の合宿所で育ち、小さいころから野球に囲まれ、環境に恵まれていた。練習後に相手をしてやると「これは、すごいセンスをしている!!」と、直感したのを覚えている。しかし、身長が伸びない。シニアの練習を見に行ってもセンスはあるが……。佳明は横浜高校を希望したが「無理だ!!」と猛反対した。でも、佳明は・・・
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