プロにおいて大卒選手は高校生とは異なり、「即戦力」の働きが求められる。そのための3年間を過ごしてきた。昨夏、侍ジャパン大学代表で世界舞台を経験した2人を紹介していく。 取材・文=岡本朋祐 写真=榎本郁也 
島岡吉郎元監督の胸像横で、東京六大学における主将の背番号「10」のユニフォームを持つ。19年は亥年。今春のリーグ戦、かつて島岡元監督が生まれた干支にちなんでつけていた、左袖の猪マークが復活する
「大学」か「プロ」で揺れ動いた高校3年時
心底、惚れ込んだ高校生を勧誘するために春先から計6回、大分へと足を運んだ。明大・善波達也監督は
森下暢仁の高校3年時を回顧する。
「それまでは最多が4回でした……。暢仁(まさと)にはフォームのなめらかさ、きれいさ。(投手としての)理想の姿があった」。森下は「グラグラでした」と、当時の心境を明かす。3年生に進級する直前の3月の練習試合で、自己最速を5キロ更新する148キロを計測。善波監督も現場で視察した6月、同夏の甲子園で優勝する東海大相模高(神奈川)との練習試合では、ソロ本塁打2本による2失点完投(2対2)。森下を含めて、
小笠原慎之介(現
中日)と
吉田凌(現
オリックス)を視察しに訪れたNPB8球団のスカウトの前で、これ以上ないアピールの場となった。
3年夏は大分大会決勝で敗退したが、評価は・・・
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