
野茂がずっと日本球界で投げ続けたら、どうなっていたのかとも思う
平成最後のキャンプで、
野茂英雄氏が臨時コーチとして
与田剛新監督の
中日で指導をした。歳は与田監督が上だが、2人は1989年、平成最初のドラフト会議でともに1位指名を受けたプロ同期生(以下は選手時代の話でもあり、敬称略とさせていただく)。与田は中日のクローザーとして、野茂は近鉄の先発として、90年、平成2年のルーキーイヤーで大活躍し、ともに新人王に輝いている。本誌は翌91年の新年号で2人の対談を組んだが、そこで・・・
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