1990年台中盤から2000年代にかけて、ホークスが常勝軍団となっていく過程は、小久保裕紀のプロ野球人生と重なる。四番の重責を担いつつ、リーダーとしてもホークスを勝利に導いた“不屈の男”が語る平成の名勝負。 取材・構成=坂本匠 写真=BBM 【わが心の名勝負 その1】ダイエー5-4日本ハム(1999年9月25日・福岡ドーム) 
優勝へのマジックを1として迎えた129試合目(135試合制)。3対4と1点を追う7回裏に小久保裕紀が同点本塁打で左手を高々と上げる。続く8回裏に井口資仁が勝ち越し弾を放ち、ダイエーとしては初優勝を飾る。
屈辱的な思い出
個人対個人の“平成の名勝負”というと、その象徴は1999年(5月16日、
西武ドーム)の
松坂大輔(当時西武)と
イチロー(当時
オリックス)の初対決でしょう。これは日本球界を揺るがすほどの衝撃的な出来事でした。松坂は前年春のセンバツ高校野球を制して、夏もインパクトの強い試合を数多く演じ、決勝はノーヒットノーラン。当然、プロのわれわれもそのシーンは見ているわけです。鳴り物入りで入ってきた超高校級の高卒ルーキーと、その時点で5年連続首位打者(+最多安打)など、向かうところ敵なしの、日本を代表するスーパースターとなっていたイチローの初対戦ですからね。どうなるのかなと気にはしていましたが、まさか、あのイチローが……。打ち取ることは容易ではなく、ましてや三振なんてなかなかするバッターではない(97年に日本記録の216打席連続無三振)。そんなイチローから高校生が3三振を奪うとは想像もしていませんでした。
彼らの対決が印象深いのには、ほかに理由もあるんです。この時点でわれわれホークスと、大輔はまだ未対戦。ちょうど、次の西武とのカードのときに大輔のローテーションとぶつかりそうだということは分かっていました。すると、大輔の登板が予想される日の前日、何があったと・・・
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