2019年7月14日現在で1256人を数える外国人選手。このコーナーでは歴代助っ人のこぼれ話を紹介していく。助っ人のパフォーマンス。楽しくも、うるさい(?)男たちがたくさんいた。 
アニマル(元阪急。1986-87)
パフォーマンスと言って思い出すのが、阪急のアニマルだ。1986年、阪急に入団した抑え投手で在籍は2年だけだが、とにかく常にハイテンションだった。ゲームセットの瞬間(もちろん、抑え成功のとき)、マウンドで日本で好きになった相撲を参考にした、さまざまなポーズで飛び跳ね、雄たけびを上げ、その後、捕手の
藤田浩雅の胸や腹を殴るのが“定番”。運転役の女性を置き去りにしてリリーフカーを運転しマウンドに向かったり、パンツ一丁でベンチ裏からグラウンドをのぞきに来たりと、まさに自由自在な男だった。『チャンピオン・アニマル』という歌で歌手デビューも果たし、「ライバルはミック・ジャガー」と言っていた。
レコードと言えば、阪神時代のオマリーも有名だ。お立ち台での「ハンシンファンはイチバンや!」でも人気があった明るい男で、『オマリーの六甲おろし』で歌手デビューもした。この歌は、いろいろな意味で今も語り草となっている。
プレー以外のパフォーマンスで最初に話題になったのは、1980年
広島の
デュプリーか。晴れ舞台が雨舞台の男だった。試合が雨で中断になるとバットを持って登場。カーン、打った、走ったの“エア・ランニングホームラン”の先駆け的選手だった。『踊るホームラン王』ことウインタース(日本ハム)のパフォーマンスも多彩だった。女装して試合前のダンスチームのパフォーマンスに参加したり、写真がないと説明しづらいが、逆立ちの仮装をしたこともある。この系譜は
ヤクルトのホージー、
ラミレスらにつながっていくが、徐々に小粒になり今は後継者不足。

ホージー(元ヤクルト。1997-98)
クロマティ(
巨人)のパフォーマンスは賛否があった。客席へのバンザイ・ポーズは受け入れられたが、打った後、頭を「ここが違うぜ」とばかり指さしたのは完全な挑発行為。大洋・
遠藤一彦が抑え込んだ際に、やりかえしたこともあった。のちクロマティは「アメリカではしない。ぶつけられるから」と語っていた。

クロマティ(元巨人。1984-90)