高卒2年目での本塁打王、打点王の2冠を狙う村上宗隆。日本球界で唯一それを達成したのが、1953年、西鉄の怪童・中西太氏だ。 
プロ2年目、1953年の中西氏
「村上君のことやな。あした神宮に行くから、そこで話しましょう」
電話を入れると、こちらが何も言わないうちに返し、笑っていた。
御年86歳ながら、いつも若々しい。高松一高では“怪童”の異名を取り、西鉄ライオンズでは打撃2冠を手にし、三冠王にあと一歩まで迫ること4回。センターが前進するような低いライナーが伸びての場外弾や、内野手が一歩も動けずにヒザに直撃した強烈なライナーなど、幾多の猛打伝説を持ち、多くの強打者を育て上げた名指導者としても知られる。
村上には今、打点王、ホームラン王の可能性があるが、高卒2年目までに、そのいずれをも手にしたのは、長い球史の中でも中西太氏しかいない。2年目の1954年に36本塁打、86打点の2冠、さらに36盗塁でトリプル3も達成している(中西氏は4月11日生まれなので10代の2冠ではないが)。
1971年、中西氏が初めて西鉄以外のユニフォームを着たのが、
ヤクルトだった。打撃コーチとなった中西氏は、新人・
若松勉を二人三脚で一流打者に育て上げた。
話を戻す。8月24日、快晴の神宮。村上はフリーバッティングの前に、
石井琢朗打撃コーチから、さまざまな角度、リズムでのトスを上げてもらっていたが、これも当時の中西氏が始めたことだった。
「誰が始めたが大事じゃない。若松君も指導者になってからやっていたし、皆が選手のことを考え・・・
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