ここでは球界関係者からのお別れの言葉を紹介する。それぞれ、もっと長くコメントしていたのだが、できるだけたくさんの方を紹介したいと思い、割愛させていただいた。 
ベンチでは仏頂面も多かったが、時に笑顔を見せることも
■長嶋茂雄(巨人終身名誉監督) 「『金田(
金田正一)さんのお別れの会』で久しぶりに2人で2、3分間ぐらい会話しただろうか。そのときのノムさんの言葉が忘れられない。『おい、頑張ってるか。オレはまだ生きてるぞ。まだまだ頑張るぞ』。だから私も『お互い頑張ろう』と話したばかりだった。まだ現役だった1963年、ノムさん、稲尾(
稲尾和久=西鉄)、王(
王貞治)の4人でヨーロッパ旅行に出掛けたことがある。観光地を回りながら、いろいろな話をして、とても楽しかったことを昨日のことのように憶えている」
■王貞治(ソフトバンク球団会長) 「同じ時代を悪戦苦闘して戦い抜いた戦友。カネさん(金田正一)、ノムさんが亡くなってしまうのは本当に残念なこと。カネさんと昔話をしてほしいね。われわれは感覚的な野球でやってきたけど、ノムさんは感覚プラス頭脳的な野球をやった。だから選手としても監督としても成功したんじゃないですか。自分の持てるものをどう結果につなげるかというのがノムさんの野球だった。そういう点で、今の時代に『野村野球』は十分受け継がれている。野村イズムはこれからも生きていくと思いますよ」

右から野村氏、長嶋氏、王氏、稲尾氏。63年オフの欧州旅行にて
■高津臣吾(ヤクルト監督) 「入団当時から、それこそ一から十までプロの難しさ、厳しさを教わりました。まだ見ていてもらいたかったし、ぼやいてほしかったです。もっと教わることが、たくさんあったと思います。この前のOB会でお会いしたときは『最下位からのスタートなんだから、気楽にやりなさい。あとは上がるだけだから、思い切って』と言われました。ヤクルトのことを本当に愛してくれて、思ってくれていた。そんな思いに応えられるようなシーズンにしたいです。もちろん勝って、笑っている監督をもう一度見たいです」
■嶋基宏(ヤクルト) 「僕の野球人生において一番僕を大きくしてくれた方。出会っていなかったら、こうやって今ユニフォームを着ていられなかったかもしれない。自分にとっては苦しいことも言われたし、褒められたこともあった。いま現役でやっているキャッチャーで、最後に教えたキャッチャーが僕だと思うので、選手として・・・
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