優勝チームに名捕手あり。それは歴史が証明してきた。弱小時代のヤクルトを知り、ID野球で1990年代の黄金期を迎えたチームの主砲が、一流捕手と認める2人の捕手、そして求められる資質について語る。 取材・構成=富田庸 写真=BBM 野村イズムを徹底的にたたき込まれた古田。この捕手なくして90年代に黄金期は訪れなかったはずだ
確率論で狙い球を絞れるわけではない
広澤氏がより一層、配球を意識するようになったのは、プロ6年目となるヤクルト時代の1990年、野村克也監督が就任してからだ。その年、ドラフト2位で社会人出身の捕手・古田敦也が入団してきた。主砲と正捕手というチームの軸を確立させたヤクルトは力をつけ、92年に14年ぶりのリーグ優勝。94年オフに巨人へFA移籍した広澤氏は、味方と敵、両方の立場で名捕手・古田と対峙することとなる。 今はデータ野球が主流になっていますよね。これは90年代の野村克也監督のID野球の流れをくむもので、「確率の野球」と言い換えることができるでしょう。私もヤクルト時代、数多くのミーティングを経て、配球面での「ノムラの考え」を学ぶことができました。
例えば、2ボール1ストライクから10回中8回、スライダーが来るというデータがあるとします。80%という高い確率ですから、そこでスライダーを狙うのは当然のことです。でも考えてみてください・・・
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