ここでは球団別の「エースの系譜」をたどっていく。チームを幾多の栄光に導いた者、低迷期を孤軍奮闘で支えた者……。彼らがなぜ「エース」と呼ばれたのか、あらためて考えてみたい。 ※エース選定は編集部、通算成績は他球団含む 杉浦忠 
在籍1958-70/通算187勝106敗、防御率2.39
南海黄金期の2人
エースと言えど、一時代をたった一人で背負ってきたという投手は多くはない。1年目からチームの先頭に立ち南海黄金時代を代表するエースとなった杉浦忠にも、しのぎを削ったチームメート、良きライバルがいた。
1958年に入団した杉浦は、1年目から27勝を挙げると、2年目には38勝(4敗)と驚異的な成績を残して、その地位を不動のものに。特に
巨人との日本シリーズでの4連投4連勝、日本一に導く力投は、チームの柱としての気迫がみなぎっていた。64年まで7年連続2ケタ勝利で、球団歴代2位の通算187勝を挙げている。
では、1位は? それこそが・・・
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