ここでは球団別の「エースの系譜」をたどっていく。チームを幾多の栄光に導いた者、低迷期を孤軍奮闘で支えた者……。彼らがなぜ「エース」と呼ばれたのか、あらためて考えてみたい。 ※エース選定は編集部、通算成績は他球団含む 米田哲也(左)・梶本隆夫 
[米田]在籍1956-75/通算350勝285敗2S、防御率2.91
[梶本]在籍1954-73/通算254勝255敗0S、防御率2.98
黄金期に大黒柱あり
球団初優勝を遂げた1967年には、確かな大黒柱がいた。右の米田哲也、左の梶本陸夫の“ヨネカジ”コンビが合わせて33勝を挙げ、リーグVの立役者に。2人は、その後も投手陣をけん引し、初優勝から69年までリーグ3連覇。その後を継ぐように71年からは“史上最高のサブマリン”の
山田久志がエースに君臨し、75年からリーグ4連覇で3年連続日本一と黄金期を築いている。
3投手はいずれも名球会入り。さらに勝ち星だけでなく、先発25試合以上が10シーズン超と、まさに“絶対的”存在だった。
ただ、徐々にエースの影が薄くなる。阪急が球団身売りを発表した88年。同年限りで山田も引退し、89年から
オリックスとなって以降・・・
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