自分たちに何ができるのだろうか。「3.11」の震災後、思い悩む選手たちの背中を押したのは、ほかでもない被災者の声だった。迷いを振り払い、被災者、そして東北のために――。その思いが結実したのは2年後の「11.3」だった。東北に歓喜をもたらした日本一への軌跡を今一度、振り返りたい。 文=中村紳哉[河北新報社] 写真=BBM 2013年11月3日、巨人との日本シリーズ第7戦。Kスタ宮城に入り切れない楽天ファンは、隣接する陸上競技場へ移動し、パブリックビューイングで戦況を見守った
被災地で消えた迷い
2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする大地震で、宮城県などの沿岸部を巨大津波が襲った。仙台市を本拠地とする東北楽天の一軍は兵庫県明石市でオープン戦を行っていた。
「東北が大変です」。チームに一報がもたらされた。試合は途中で打ち切り。球場には「選手の家族の安否確認のため試合を終了します」というアナウンスが流れた。事態が飲み込めぬまま、選手らは携帯電話で家族に連絡を取った。すぐに確認できて安堵する者、なかなかつながらずいら立ちを募らせる者。現場は混乱していた。ほとんどの選手の思いは「早く仙台に帰りたい」だった。
だが、地震と津波の影響で東北への交通網が寸断されたこともあり、チームは首都圏や関西などを転々としながら開幕に備えることになった。就任1年目の
星野仙一監督(故人)は「お前たちの仕事は何だ。今は練習して、開幕から勝つことが被災者の力になるんじゃないか」と選手を諭したが、東北の惨状が明らかになるにつれて、その言葉を受け入れることは難しくなっていた。
4月2日、東日本大震災の復興支援を目的に、プロ野球の慈善試合が各地で行われた。東北楽天は札幌ドームで
日本ハムと対戦。選手会長の
嶋基宏(現
ヤクルト)が・・・
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