
七色の変化球を操った若林
伝説の名選手にして名野球評論家、
千葉茂さん(元
巨人)が「コントロールの大切さとか、得意なところのそばに穴がある、とか言い出したのは、若林さんからじゃないか」と言っていた。“七色の変化球”の代名詞を持つ
若林忠志だ。ハワイ出身の日系人でタイガース、毎日で通算237勝を挙げた鉄腕。肩、ヒジの故障もあって球速はさほどではなかったが、持ち球は
ナックル、パームなど特殊球を含め、ほぼ全球種。しかも「すべてノースリーからでもツースリーからでも投げられる」と言っていた。1球種に対し、緩急、腕の振りの上下、さらに親指を微妙に使いながら変化をつけたという。打者心理を読むのも超一流。伏線を張りながらの配球を得意とした。
若林の投球術で有名なのは、42歳で迎えた1950年、一番最初の日本シリーズ(日本ワールド・シリーズ)だ。1カ月前に志願して第1戦の先発が決まったあと、この試合に勝つために逆算し、ずっと初回の第1球を考え抜いた。結果・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン