ここからは1984年のロサンゼルス以降に行われた7度のオリンピックをすべて振り返ろう。 
準決勝・韓国戦でリリーフに立った野茂英雄[右]と、決勝犠飛を放った古田敦也のバッテリーが決勝進出を決めてがっちり握手
2大会連続のファイナル
ロサンゼルス大会での金メダル獲得に伴い、推薦での出場となった。大会連覇を期し、85年3月には鈴木義信監督の下でチームづくりをスタートさせている。この年の8月にカナダで開催された第7回インターコンチネンタルカップではキューバ、韓国に次ぐ3位。87年には社会人入りした野茂英雄や
潮崎哲也らがチームに加わり、8月に日本で行われた第14回アジア選手権(五輪予選兼ねる)では5勝1敗の2位(チャイニーズ・タイペイと同率も、直接対決に負けていたため)と順調に強化は進んでいた。そうして迎えた88年、オリンピックの前哨戦として挑んだ第30回アマチュア野球世界選手権(イタリア)の第2戦でアメリカに敗れると、ここから勢いが失われ始める。準決勝、3位決定戦にも敗れてメダルなしに。
連覇に暗雲が立ち込める中、迎えたオリンピック本番・・・
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