
すべてのポジションを経験。与えられたポジションで全力を尽くす覚悟だ
長いリハビリ生活もパワーアップして復活
会見場に姿を現す直前、チームメートと言葉を交わし、笑みがこぼれた。無名だった高校時代から、大学4年間でドラフト1位へ。ぎこちない表情でカメラマンの要望に応える姿がそのシンデレラストーリーを物語っていた。甲子園での登板はなく、高校3年春には就職も考えていたという
椋木蓮。東北福祉大には甲子園経験者も多く「ずっとビリだと思ってやっていた。ついていくのが精いっぱいだった」と入部当初を振り返るほど。それでもチームメートと切磋琢磨する中で実力を伸ばしていった。
自他ともに認める「細い体」ながら1年春からリーグ戦に登板し、全日本大学野球選手権でもリリーフとしてマウンドに上がった。順調なスタートを切った椋木だったが、2年の6月に右肩の関節唇の炎症による痛みからボールは5mほどしか投げられなくなり、そこから長いリハビリ生活が始まった。
大塚光二監督は「選手にとってケガが一番のストレス。それでも
山野太一(現
ヤクルト)がリハビリを経て成長していた姿を見ていたからでしょう。ムクもリハビリ期間に体が大きくなって帰ってきた」とその成長に目を細める。下半身を中心にウエート・トレーニングに励み、体重は・・・
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