“平成の怪物”が現役生活に別れを告げた。7月7日に今季限りでの引退を表明していた西武・松坂大輔が10月19日の日本ハム戦(メットライフ)で引退試合のマウンドへ。打者1人に対して5球を投じて最速は118キロ。いまの自分をすべてさらけ出したが、その伝説は色あせない。背番号18の勇姿は永遠に野球ファンの記憶に刻み込まれた。 写真=川口洋邦 2021.10.19 ラストピッチング 
最後は日本ハムに所属する横浜高の後輩らも交じって胴上げをされた
3年目の最多勝&最多敗に対して
誰よりも負けず嫌いだった。1998年、横浜高で甲子園春夏連覇を果たし、99年ドラフト1位で西武に入団した松坂大輔。入団会見では「2ケタ勝って、新人王」と目標を掲げたが、それを軽く上回る16勝を挙げて最多勝を獲得した。4月7日、プロデビューの日本ハム戦(東京ドーム)では155キロをマーク。5月16日、5年連続首位打者の
イチローと初対決となった
オリックス戦(西武ドーム)では3打席連続三振。お立ち台で「自信が確信に変わりました」と言ってのけたが、18歳ながら常に堂々としていた。
当時チームメートだった17歳年上の
金村義明は以前、1年目の松坂についてこのように語っていた。
「こと野球に関しては、すごい考えを持っていますよね。ノーラン・ライアンが47歳で150キロをほうったんだったら、僕はその上を行きたいとか、記録をすべて塗り替えてやる、いろいろ言う人たちを見返してやるなど、とにかく野球に対する強い気持ちがあります。なにしろ野球でびびったことが一度もない、と言うんです。甲子園でもまったく緊張しなかったそうです。学校のテストのことを考えると震え上がったりするけど、野球に関して全然、そんなことないんです」
2年目は14勝、3年目は15勝で3年連続最多勝に輝いた。だが、3年目は15敗も喫して、2リーグ分立後で史上6人目の最多勝&最多敗。勝率5割での最多勝は84年の
遠藤一彦(大洋)に次ぎ2人目の記録だったが・・・
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