ここからはクローザーの歴史を年代ごとに振り返っていこう。セーブが公式記録となったのが1974年。投手の分業化が進むとともに、抑え投手の役割も徐々に変化していった。 岩瀬仁紀(99-18[中日]) 
1002試合、59勝51敗407S82H841奪三振、防御率2.31
「勝利の方程式」がさらに重要性を増す
投手の分業化はさらに先鋭化していき、8回を担うセットアッパー、9回のクローザーと役割はさらに細分化していく。そうなると「救援勝利」はリリーフ失敗の副産物となり、2005年からはセーブ数のみでタイトルを決める「最多セーブ投手」へと改められた。
1990年代にも
西武の「サンフレッチェ(
潮崎哲也、
杉山賢人、
鹿取義隆)」などがあったが、抑えにつなぐ「勝利の方程式」の重要度はさらに増していく。05年
阪神の「J(
ジェフ・ウィリアムス)F(
藤川球児)K(
久保田智之)」、やはり05年に日本一となった
ロッテの・・・
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