試合中止が相次いだことで、NPBがダブルヘッダー開催の可能性を示唆した。かつてはシーズン終盤に当たり前のように行われていたものだが、近年では1998年10月10日、横浜-中日戦が最後になる。特集最後は過去のダブルヘッダー名勝負を紹介しておこう。 1.伝説の死闘「10.19」

ダブルヘッダーと言えばすぐ出てくるのが「10.19」だ
1988年10月19日(川崎) 【第1試合】ロッテ3-4近鉄[15時開始-18時21分終了]
【第2試合】ロッテ4-4近鉄[18時44分開始-22時56分終了]
シーズン最後の2試合で2勝すれば優勝。それ以外は2位……。追い詰められた近鉄がすさまじい戦いを見せた球史に残る名勝負だ。
まず1試合目。終始ロッテペースとなったが、1対3から8回に2点、9回に1点を加え、4対3の勝利。当時の規定でダブルヘッダー第1試合に延長戦はなく、紙一重の戦いだった。
23分後に第2試合。どこか浮わついた選手たちに
仰木彬監督が「あと1試合だ。あと1試合勝つぞ」と大きな声を出す。観客は弁当など食料の買い出しをしようとするが、球場内はすべて売り切れになっていた。トイレにも長い行列ができ、2試合目のスタートまでに戻れなかった人も多かったという。
4時間を超えて新しいイニングには入らないという規定があった2試合目も熱戦となる。4対4と同点で迎えた9回裏にはロッテ・
有藤通世監督の9分にわたる長い抗議があり、時計を気にする近鉄ベンチ、さらにスタンドから罵声が飛ぶ。異様な雰囲気の中、10回で時間切れ引き分けとなり、
西武球場で待機していた西武の優勝が決まった。
2.劇的結末のあと世紀の大乱闘
1968年9月18日(甲子園) 【第1試合】阪神2x-0巨人[16時31分開始-18時31分終了]
【第2試合】阪神2-10巨人[18時54分開始-22時終了]
1968年の阪神は夏場から猛烈な勢いで首位・巨人を追い上げた。最大のドラマは・・・
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