あのとき流した涙の意味は大人になった今だから分かることもある。貪欲に勝利を目指して白球を追い続け、懸命に過ごした高校時代。甲子園出場の有無にかかわらず、あの夏に得た課題は、その後の野球人生に生かされる。7人の現役プロ選手、若葉のころの答え──。 【後編】はこちら 【ANSWER 1】西武・源田壮亮「花よりも花を咲かせる土になれ」

大分・大分商/出場なし
小学2年生から地元のソフトボールチームに入り、中学からは硬式野球の「明野ビッグボーイズ」(現大分明野ボーイズ)でプレー。高校進学の際、何校からか誘いがあったが、その中から大分商を選択したのは吉野賢一郎監督の熱意からだった。大分商は
源田壮亮が入学する2008年まで春5回、夏14回甲子園に出場。1997年の春夏連続出場以来、甲子園出場は果たせていなかったが、古豪として知られるチームだった。
源田は1年秋から遊撃手として試合に出始める。日々の厳しい練習に励んだが、2年夏は3回戦で
甲斐拓也(現
ソフトバンク)がマスクをかぶる楊志館に敗れ、3年夏は準々決勝で日田林に0対2と完封負け。甲子園出場の夢をかなえることができなかった。
だが、高校時代に吉野監督から多くのことを学んだのは間違いない。
「常々言われていたのは『一人ひとり、絶対に役割がある』ということです。甲子園を目指すにしても、試合に出ている選手の力だけでは成し遂げられない。裏方の力も必要ですし、本当の意味でチームが一つにならないといけません。とにかく、自分がチームのために何ができるか考えなさい、と。だから、チームの中でどういったことをやればベストなのか、高校時代から深く考えるようになりましたね」
吉野監督から教わった星稜・山下智茂監督(現門前・野球指導アドバイザー)の言葉「花よりも花を咲かせる土になれ」も印象に残っている。
「主役ではなく脇役にスポットを当てた言葉ですが、高校生ながらすごく心に突き刺さりましたね。僕は高校時代から目立つプレーをする選手ではありませんでした。でも、陰ながら自分の役割を果たしてチームが勝てばいい。『“土”でいいんだ』と自分の方向性が定まった言葉でもありました」
気力を尽して簡単にくじけない。何事も粘って継続していく。チームが融和して・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン