
1989年の近鉄の権藤博コーチ[左]とストッパーの吉井理人投手。吉井の背番号はこの年だけ11。翌90年に吉井は21を着け、11はルーキー・野茂英雄の背番号となる[写真=BBM]
阿波野秀幸さんに、
今回の特集と関係ない別のページでインタビューしたときの余談である。
阿波野さんが近鉄時代の1989年10月14日のダイエー戦(藤井寺)は、勝てばリーグ優勝が決定する試合。その試合の先発は
加藤哲郎投手だったが、先発エースの阿波野さんが7回途中からリリーフして最後まで投げ、「胴上げ投手」になった。しかし、本来のリリーフエースは、その年5勝5敗20セーブという成績だった吉井理人投手(現
ロッテ監督)。吉井投手はブルペンで登板準備をしていたが
仰木彬監督は阿波野さんを最後まで投げさせ、試合終了。優勝の歓喜の中、吉井投手だけは胴上げに参加せず、憤然とロッカールームに戻った。権藤博投手コーチが追い掛け、吉井投手をフォローした・・・
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