こだわりがないと言う背番号だが、込められた意味が心を動かした。投打の二刀流で世界を席巻し今や世界のスーパースターとなったドジャース・大谷翔平の出発点は2012年秋のこと。“二刀流誕生”の起因は、日本ハム入団の決断につながる背中の数字にもある。 文=石田雄太 写真=BBM 
投手として不完全燃焼の思いがあった大谷翔平にとって、日本ハムがエースナンバーを提示したことの意味は大きかった
自ら描いた夢と球団が提示した夢
今を遡ること10年──2014年の秋、初めて日本代表のトップチームに選ばれた20歳の大谷翔平が、やはり初めて日本代表のトップチームに入った同い年の
藤浪晋太郎と、背番号についてこんな話をしていたことがあった。まずはそのやりとりを再現してみよう。
◆ 大谷 背番号、何番?
藤浪 17番。いつもと違うと、何か違和感ない? (大谷は)何番?
大谷 16番。高校ジャパンのときも17番じゃなかったっけ?
藤浪 自分、何番やったかな、忘れた。
大谷 あっ、違う……(高校ジャパンのときの藤浪は)6番か。
藤浪 なぜ6番? ああ、そうか。北から順番に割り振られたからか。
大谷 そう、僕がピッチャーの中で一番北にある高校だったから、1番だった。
◆ このときの日本代表では、大谷がファイターズで着けていた『11』は
岸孝之(のちに出場辞退)が、藤浪がタイガースで着けていた『19』は
金子千尋が背負っていた。だから空き番号から着けることになったのだが・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン