1918年創部。春9回、夏20回の甲子園出場を誇る強豪校で、主戦投手を託されている。学校生活、寮生活から自覚を持って行動する姿は、まさしく模範生だ。絶対的な信頼を得て、マウンドに上がる。 取材・文=岡本朋祐 写真=上野弘明
※情報は7月4日現在 
地元・鹿児島県出身。鹿児島実高は1996年春のセンバツ大会で優勝を遂げており、夏の選手権大会は定岡正二[元巨人]を擁した1974年と91年の4強が最高成績。2024年夏、エース・井上はさらなる飛躍を目指す
重たい「鹿実」の二文字
桜島を望む高台にある鹿児島実高。学校敷地内の専用グラウンドでウオーミングアップする選手たちの気迫に圧倒されてしまう。1年から3年まで100人近い部員が一糸乱れぬランニングを展開していた。しかも、スピードがある。時折「エイチャー!」という独特の掛け声。井上剣也は4列縦隊の先頭で声を張り上げていた。
「縦、横の隊列、腕の振りをしっかりそろえる。指先をきちっと伸ばす。4月に入学してきた新入生には、2年生が教えるんです。2、3年生の全体アップに合流までには1カ月ほどかかります。練習の入りを大事にしています」。こうして鹿実の魂はつながれていくが、2005年から母校を指揮する宮下正一監督は「まだまだ、足りん!」と納得していなかった。
「コロナ禍で、ほぼすべてが崩れてしまいました(苦笑)。22年夏に甲子園に出場しましたが(明秀日立高との初戦・2回戦で敗退)、技術、考え方を含め、精神的な弱さを露呈しました。あれから2年。24年は『鹿実を取り戻す。花を咲かせる』ことをテーマに取り組んできました」
強豪校を支える切り札である151キロ右腕・井上は「先輩方はこのユニフォームで、甲子園で勝ち進んだ。歴史と伝統を背負い、日本一を目指す」と意気込む。
生まれ持った体の頑強さから、小学校時代は・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン