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色褪せぬ夏、青春の甲子園 熱戦の記憶

<思い出球児 僕らにとっての夢舞台>柴田章吾(愛工大名電高・投手)「病気で野球ができない状態から人生を変える方法は、甲子園で投げること」

 

中学3年生で国指定の難病と診断された左腕。手の届く範囲にあった夢舞台が、一度は遠のいた。病気になったことで強くなる本人の聖地への想い。死への恐怖と向き合いながらも歩む道のりは、険しいの一言で言い表せなかった。
取材・構成=壁井裕貴

2019年に独立し、起業家として活動している[写真=本人提供]


甲子園で人生を変えたい


 小学生では全国制覇を果たし、中学では日本代表にも選ばれた天才野球少年。だが、そんな左腕をベーチェット病が襲った。体のさまざまな部位にくり返し炎症発作が起こる国指定の難病。完治の方法が見つからず、日々炎症がある中でも、声を掛けてくれた愛工大名電で聖地のマウンドを目指すことに。89回大会の1回戦・創価戦で5回から登板し、4回無失点に抑える活躍で夢を叶えた。

 中学3年生の夏、ボーイズ・リーグの日本代表に選ばれました。ただ、当時の私がいたのはマウンドではなく病院のベッドでした。ベーチェット病にかかっていて、お医者さんからは「野球を続けたら失明するかもしれない。最悪の場合、死ぬ可能性もある」と言われるほどの病気だったからです。

 それまで病気や風邪を引いたことも少なかったので、お医者さんから宣告されたときは、「ウソだと言ってくれ」と不安でいっぱいでした。

 なにか好転する方法はないかなと考えていると、病室のテレビ越しに映る甲子園が、今までとは違って見えました。

「ここに行ったら、人生が変わるかもしれない」

 中学で日本代表に選ばれたので、強豪校に行けばほかの人よりも甲子園のマウンドは近かったかもしれません。ただ、野球ができない状態から甲子園のマウンドで投げることは、当時の私にとっては遥か先の見えない世界。病気になって野球ができない人生どん底の状態から甲子園で投げるほうが、自分自身の感動も大きいんじゃないかと思いました。

 だから、3年間だけ・・・

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